先ずは軽くジャブから。
いい加減話を先に進めたいが記憶が混ざりに混ざって美味しく醗酵し出したのでログの確認から始めてみました。
しかしほぼ生まれてから死ぬまで全部取ってあるので膨大ってlvを超越した量になっており、中々目当てのものが見つかりません。
真面目だった頃はちゃんとログに解かりやすいタイトルを付けて後で検索しやすいようにしていたのですが、PDとか楽しくなってくるとzえんぜんやらなくなりましたヽ(゚∀゚Ξ゚∀゚)ノ
ログのタイトルには様々なものがあり、「vs呉イベ戦」というそっけないものから「びっくりするほどユートピアの話」など恐らく印象が強かったネタを冠するもの、はては「マーショネス」なんていう意味の計りかねるものまで様々。
覚えているうちはいいけれど忘れたらどうすんのよw
で、その中の一つに「連合についての悩み」などという大層なタイトルを冠するログがありました。日付は2009年の5月24日。三節真っ只中です。
開いてみたところ面白いチャットが出て北のでぺたんw
A: 何いきなり話しかけてるわけ
蔡樹: おいィ?
A:って言うべきだったw
B:最近 邪気 客将いないねw
蔡樹:俺はシャイだからないきなり話しかけたりはしない
C:納入してないのかな~
蔡樹:生半可な廃人ではつかえないエモーションで挨拶をしてから声をかける
蔡樹:挨拶したくてするのではないしてしまうのが盾
B:納入しない→狩りをしてない→心が病む→いくえ不明
A:wwwwwwwww
A:彼女はできないですかw
蔡樹:狩りをする→軍用がたまる→売る→お金がたまる→彼女ができる
A:それはホントにありえるw
B:狩りをする→軍用が溜まる→納品する→客将がくる→心が豊かになる→彼女ができる
A:それもありえるww
蔡樹:狩りをする→武器が壊れる→お金がない→軍用で稼ぐ→客将がこない→この先は・・・わかるな何も解からねーよ。
さて。
合戦終わった後長安でかくれんぼを初め、二時半前後に連合について思うところの吐露が始まり、そのまま日は昇って中天にかかりました。
はんぱないことにそのまま正午、十二時まで話したり狩りしたりし続けてた……。
情熱はこの頃からばりばりあったようですw
この頃わたしは淵舞連合に入れて頂いて合戦に参加していました。
話し愛は盟主さんが最近合戦後落ち込んでいるようだ、ということに端を発したようです。
三節は「連合」が大きく変わったと思います。
結論から言うとそれは合戦の在り方、そして魏民が大きく変わった、ということだったのです。
しかしわたしの残念な脳みそは、それを言葉にしてもらうまで解かりませんでした。
わたしがその時ひしりひしりと感じていたのは、看板いらねーということと、盟主についていかない連合員困った! ということでした。
淵舞は当時鬼神にコバンをしていました。
うーんと初期の頃にコバンをした経験がおありの方は、うっかりコバン連合の発動に釣られて、自連合にまだGOサインが出ていないのに飛び出しちゃった、テヘ☆ という経験があるのではないでしょうか。
ないか。わたしだけか。
てへ☆
わたしは初期よく釣られていましたし、このシリーズ内でも記したように徒党主義だった頃は連合でまとまって戦うということ自体が珍しかったので、俺タイミングで凸ることにあまり抵抗はありませんでした。
更に一節の頃などは、陣発動の時盟主の側にいないことも多く、迷子だったりラグってひっかかったりしていた時もあるのですが、意図的に党首の側へ行かないこともあったのです。
理由をこのド腐れ脳みそやろうは「もっといい場所を見つけたから」と言い腐ってやがります。
つまりやっぱり、わたしは連合を組む意味、陣形の意味を理解していなかったのです(/ω\)
ソロってろ! そしてひき肉にされてろ! ばあか!
しかし、淵舞連合として合戦に参加する、ということになった時、わたしは盟主と共に、つまり連合としてスイミー達の如く戦うんだ是と、それに務めようとし始めました。
ちゃんと全てのログを読んでいないのではっきりとは言えないのですが、この頃はその転換期ではなかったかと思います。
その為もあったのでしょう、盟主の指示が中々全体に執行されず、盟主さんが苦悩する日々が続きました。
わたしはそれを、「転換に戸惑っている」とは、先ず考えませんでした。
以前にも書きましたが、淵舞は「目的ありき」ではなく、「連合が先ず有りて、目的を模索する」連合でした。
わたしはそれについて何度も「手段と目的が本末転倒になっている」と揶揄しました。
合戦で勝つ為に連合を組むのか、連合を組む為に合戦をするのか、と。
よって、淵舞に参加している皆さんには、共通の目標や認識というものの構築が極端にお座なりにされていると考えていたのです。
更に、連合員の皆さんが、以前と変わってきている、という指摘がされました。
昔はもっと、みんな盟主の側で戦っていた、まとまっていた、と。
わたしは言います。時間はキニシチャイケナイ
( 4:23:39) 蔡樹 : この連合はどういう連合なのか その中で自分の役割はなんなのかそれについて考えている人はいなかった。あるいは、考えなくても昔はよかったのです。しかし三節には、その必要が出て北のです。
さらに変態ロリ盾は続けます。この頃はまだその名を頂いてはおりませんでした。
( 4:23:47) 蔡樹 : 自分に何が出来て何ができないのか
( 4:55: 0) 蔡樹 : 連合をしたいから合戦しているのではなくて
( 4:55: 9) 蔡樹 : 合戦をする上での手段なのです、連合は
( 4:55:22) 蔡樹 : かわってきた内容は
( 4:55:29) 蔡樹 : 連合で何をすればいいのかよくわからなかったものが
( 4:55:36) 蔡樹 : だんだんみんな自分の目的がわかってきた
因みにまーだ突撃連合に懐疑的な頃ですね、わたしw
しかし、理由はそんなことではなく、もっと手前にありました。
みんなの目標や目的が変わってきたとか、それ以前に、魏が変わっていたのです。
二節の篭城戦から、野戦へ。
わたしはすっかりそのことを失念しておりました。
前回の記事でも「魏は一節は戦場を縦横無尽に駆け回っていたのに、三節で野戦苦手になっていてなんだかおかしかった」と述べましたが。
一緒に話をしていた部曲員さんがわたしの上記発言の後に指摘して下さったのです。「魏のスタイルが変わったんじゃないの?」と。そして「まとまってたのは単に篭城でバラけなかっただけ」とも。
一節の時、とある防衛陣の戦果について、アンリさんが同じように仰っておられたのを思い出します。
て言ってもさっきたまたま読んだからですけどヽ( ゜ 3゜)ノ
個人のPスキル増減や、意識改革、洗脳以前の話でした。
今まで通りで通用する方がおかしいのです。
篭城ではなく野戦になった、ということは、それだけ行動の幅が広がるのですから、予期せぬ自体も発生するでしょう。
そして、むかーしむかし、自動技能は窓にセットしないと効果がないということ知らない人が結構おられた用に、陣形の意味、一緒に戦って戦力を集中させる意味、が分からない人もいたでしょう。
窓にセットすれば発動すると解かれば、誰もが自動技能をセットします。
しない奴を馬鹿だと笑います。
連合運営にしても同じことが言えたでしょう。
わたしも、護りがつまり愛なのだと知らねば、陣形発動に参加出来なかった時申し訳なさでいっぱいになることもなかったはずです。
ほんとその節はいつもすんまっせんっした!!!!!!
わたし達が変わった、のではなく、わたし達は変わらなければいけなかった、のです。
そして前回も述べましたが、やっぱり意思疎通が欠けていたのです、欠け過ぎていたのです。
連合の設立からしてハンデがあったのですが、それを補うどころかさらに助長するだけの対話しかわたし達はしていませんでした。
盟主さんは「みんなが楽しいこと」と「連合が機能すること」の両立にずっと悩み続けておられました。
わたしは「楽しさは自分で見つけるもの」、「連合に参加するということは盟主に共感したということ」だと思います。
でも盟主さんは真面目な方だったので、きっと思いながら「みんなを楽しませなくてはいけない」と思いつめておられたでしょうし、思いを共有出来る程の対話をわたし達はしていませんでした。
更に、盟主であるのに思う通りに指揮が出来なかったことは重いストレスになったと思います。
魏全体としては、初期はまだまだ多段の連携も上手く出来ておらず、昔から引き際の華麗な呉に結構してやられていたみたいです。
それが月日を経てあの「空気嫁戦法」になっていくのですから、本当に凄いと思います。ガチで感動を覚える。
どこの連合さんでも、このような問題、悩みを抱えていたのでしょうか。
連合員がついてきてくれない、という。
結局淵舞の歴代盟主さんは最後までそれらのことに悩まされ続けておられました。
その頃のわたしの連合に対する気持ちもこれまた酷いもので、
( 3:10:31) 蔡樹 : もうなんでもかんでも職業も関係なく
( 3:10:41) 蔡樹 : やりやすい党首のところでやりたいと思ったわたしがいたw
( 3:10:53) 蔡樹 : たぶんやりやすいというのは
( 3:11: 0) 蔡樹 : 意思疎通みたいなこともあるのでしょうね とかほざいていました。
どう読んでも徒党毎合戦時代の名残です本当に(ry
でも本当にコミュニケーションって大事です……。
3onはそのことを痛いほど教えてくれました。
有難う3on。
さて。
ジョジョに練度を増していく魏軍。正装も取り、礼服も遂にゲトしますね。
淵舞は参加人数や盟主さんの在不在により、有ったり無かったりしました。
盟主さんがこられない時は副盟主さんが指揮をして下さったりしました。
以前にも述べましたが、淵舞は20前後の規模で、コバンをしたり、遊撃をしたりしておりました。
コバンをすることよりは、遊撃をすることの方が多かったと記憶しております。
遊撃をする、というのはつまり自連合主体ということですから、そこはやっぱり護りが欲しいよね! ということになって随分そのことでも試行錯誤をしておられました。
星光さんの年表によると祝福の下方修正は09年7月16日ですが、修正されるまでは祝福も護りと同様に自連合に欲しい陣形でした。
そしてなぜかどちらも敬遠される陣形でもありました。
今こそわたしは「なぜか敬遠される」なぞと言っておりますが、むかーしのログを観ると「党員は陣形打つための駒じゃねえんだよ!」とほざいていやがる。
たしかに駒ではないけれど、そんなことはどうでもいいんだ。
大事なのは勝つことだ。
まだそんな簡単なことにも気付けていない頃のお話です(´・ω・`)
盟主さんは護りや祝福の党員に任命することを不憫と考えておられたので、ローテーションで、ということになっていました。
でも本音としては、すぐに集まれる人、安心安全な人に重要陣形の徒党員をやってもらいたい、とのことでした。
余談ですが、合戦で双をほとんどやったことがなかったわたしは、結局双の気持ちが最後までよく解かりませんでした(/ω\)w
陣形も発動せずにかけだして行ったり、或いは盟主の指示関係なく発動して凸したり、
しかしそこには、そうした人達にとって「今!」という瞬間があったんだろうなあと、今は解かります。
でも思い出せば、かつてわたしにもその「今!」とか「ここ!」というのがあって、Yさんによく叱られていました(/ω\)w
だからやっぱり、連合というものを理解していなかったのでしょう。
今だって理解できているのかと自問したらちょっと言葉に詰まってしまうますがっ(凡愚
そんなこんなで、20前後で祝福、護り内臓となると、どうしても火力が弱火になるもので、遊撃でやっつける敵の塊も小さいものでした。
少数の敵を倒すことに意味がないなんて言う気は全くないのですが、単純にわたしは、一節の頃の全体戦法の残滓を追い続けており、主力同士のぶつかり愛にずっと憧れていました。
わたしが他の連合の戸をようやく叩く気になったのには、そのことがあります。
それから、淵舞の抱える問題がどうにも出来そうにない、と思い、どんどん嫌気が募っていったことも理由だったかも知れません。なんと薄情者なのでしょうか。
今、正直に申しませば、解散しちゃえばいいのにとずっと思っておりました。
ホントはできた当初から解散したほうがいいと思ってタ!
ネガティブなんで(/ω\)
誕生の経緯が経緯だったのでどうしても素晴らしい未来を幻視出来ませんでした。このネガり厨が!
最終的には、どっからどうみても苦しんでいる人がいっぱいいたのです。それわたしの目が観た世界でしかありませんが。
盟主さんがリアル都合でイン出来なくなった時わたしが迷わず淵舞をぶっ壊した理由の一つです。
憎くて壊したのか、好きだったから壊したのか、自分でもどっちつかずなんだろうな。
わたしがりふぃあ連合さんに初めて入れて頂いたのは、そういうことになった前なのか後なのかちょっと解からないのですが、09年の10月23日、呉とのイベント戦の時だったと思います。
その頃は淵舞メンツのみなさんは電波さんや邪気さんなど色々な連合さんに参加されておられましたが、それはそれとして淵舞も稼動していました。
当時のわたしは「他の連合さんもみてみたい」という気持ちが、どういう理由からかは今となっては判じかねますがむくむく入道雲になっていたので、りふぃあ連合さんの戸を叩いたのです。
多分ぜってーめっちゃ緊張して対話させて頂いたと思うwwwwwwwテラチキンwwwwwwwww
このひよこ蔡樹ちきんだぜ!
この頃はまだひよこ言われてないですけれどね。
以前にも書きましたが、盾で入れて頂いたわたしは、そこで撃破P800という、一般的な皆様からすればがっかりする、わたしからすれば目の玉が落っこちるほど大量のPを稼ぐことが出来、りふぃあ連合ぱねえええええええええええええええええええと正直に感動しましたw
速化盾の楽しさに病みつきになったのもこの時なんじゃないかな。そこはちょっと怪しいですがw
ログ読めば大体解かるはずなのですがね。そのログがどこにあるかはどうやったら解かるんでしょうね。
そして運命の瞬間は、翌日にやって来ました。
10月24日。蜀との合戦の日です。
やはりおどおどしながら叩いたであろう連合さんの戸、それは鬼神連合のものでした。
そこであの有名な「盾の契り」が結ばれるなど、挨拶チャットをしているわたしは思ってもみなかったのです。
そしてわたしの「変態ロリ盾」へのスターダムがここからハジマタ
アイオンショックがあったのも確か、三節中のことですね。
そのせいで沢山の人がいなくなり、呉は著しく人口が減っていました。
対して蜀は、一節の頃のわーわーアタックの影などどこにも見られない、恐ろしいグリーンドラゴンへ進化していました。
蜀には負けない、蜀が人数を強みにしている限り負けることはない、と、先述の話愛の中で言われていたのですが、その判定は間違っていたことが証明されてしまったわけです。
えろい人が言ってましたものね、戦いは数だよ、と。
ほんと、戦いは数です!w
だからと言って負けはしませんがね!
それは一節からずっと思ってた!
100人差がなんだ! オッスオッスで勝つ!!!!
脱線しました。
常にしている気がしますが。
ともかく、グリーンドラゴンは危険でした。
そこで、盾の契りを交わしたわたし達盾は、三星氏の提案により、蜀戦を鬼神連合で共に戦うことにしたのです。
当たり前のことですが、りふぃ連も、鬼神も、淵舞も、それぞれ全く違う連合でした。
そんな当たり前に気付けたことが、チキンのわたしにはとても新鮮で刺激的でした。
そして何より、主力同士のぶつかり愛!
求めていた世界が目の前に広がっていたのです。
わたしがもっとPS上げようとか、策敵マクロだとか、技能だとか、そういうことを真面目に考えるようになったのは、「盾の契り」以降だと思います。
合戦に対する熱い思いもこの頃からではないだろうか。
この頃には寂しいことに、「オッスオッス」と叫ぶことはなくなってしまいました。
兄貴がいなくなり、徳田氏がいなくなって、段々廃れていったのだと思います。
でもわたしはこの言葉を台湾まで持っていき、台湾のフレにも教え込みました。
最初は叫ぶことに抵抗があった「オッスオッス」、今はわたしの心の支えの一つです。
辛い時、苦しい時、哀しい時、そして嬉しい時、この言葉を叫ぶのです。
「オッスオッス!」
今回はこんなところで。
次回は三節の連合の動きとか……戦い方とかやりたいのですが、お前理解してたの? って感じなのでどうなることやら(/ω\)w
そういや城壁連合がいたのはいつだっけな。ずっといたっけな?w