今も忘れられない恥ずかしい記憶がある。
根が短気でプッツンなわたしだからぶち切れたことかも知れない。些細なことなのかも知れないが人格を疑ったのだ。
『初めての連合座談会で、座談会開催の提案をした当部曲員参加者がゼロ』
立ち上げ人であったkさん(多分彼もしくは彼女の名をKと読んでいたのはわたしだけだろうw)は当日リアル都合の為出席できなかったので、せめてキャラだけでもと部曲砦に放置していた。
しかしみんなで集まって話し合いとかしませんかと提案した我が部曲(まったり)の人が開始時間になっても一人もこないという不具合。
中身のいないkさんの隣でそわそわと待つわたしの周りに兎陽メンバーのみなさんが集まり始めた。
散々待たせたが結局出席すべきメンツは誰も来なかった。
わたしは土下座して謝った。
いや土下座のエモーションなかったけれど。
最上礼がそれに近いと思われる。
因みに弓さんは開催日を勘違いしてらしたのでひょっとしたらうちの部曲メンバーも開催日間違えていたのかも知れない。
言いだしっぺが日時間違えるとか考え難いが、それがわたしに出来る精一杯のフォロー。
今だからはっきり断言するがあまりもの無責任さに怒りを通り越して、あきれたのも通り越して、涙が出た。この時「上手く行くはずがない」という思いは頑強なものになり、その後もわたしを支配する。
せっかくあつまったのに話し合いらしいことが何も出来ない状況なので、兎陽のみなさんが提案して下さり氷PDへ行くことになった。
何度思い出しても顔から火が出るほど恥ずかしい。
この時点で自分の部に対する誇りとかプライドみたいなものは一切なくなっていたので、部名が掲示板に載る度恥じを晒しているような気持ちになった。
一位になった時にも一緒に喜べなかったのはそういう思いがあったから。
これは当時から思っていたけど、結局愛情の裏返しなのだと思う。
なんだかんだで四節の始め頃までわたしはそこにいた。文句たれつつ。好きだったからなんだろう。好きでなければ、今回のことを恥ずかしいと思うこともなかっただろう。
今思い返すとわたしは些細なことに対して気持悪いまでに糞真面目だったのかも知れない。
3onやって自分は糞真面目なのかも知れないと思った。
でもそれも勘違いなのかも知れない。
単純にわたしが融通の利かない人間だ、ということでFAなのだろう。実際そうですしおすしヽ(゚∀゚Ξ゚∀゚)ノ
さて。
ログを読み返すと、魏に限って言いますと、合戦で組まれている連合は、当時部曲単位であったのがよく解かります。
盟主会を開催しようという意見などもでているのですが、「各部の部曲長が集まって」と説明されているところからもそれは顕著です。
わたしも長く部曲内で合戦に参加しておりましたし、野良=怖いといういやまてまてまてな脳内図式が成り立っていたので、他部曲の方との交流はほぼありませんでした
そんな意識がある時ガラリと変わります。程普軍略で張平相模さんにフレを頂いたことが転機でした。
放置していると入る対話、やがて対話もショートカットで直拉致。応じると軍略やPDへのお誘い。そして部曲戦。
友達も増え、この頃からわたしは変態へのスターダムを駆け上がり始めます。
元々フリーダムソロ活動が基本の部曲にいたことと、マイナスの事件とプラスの事件に遭遇したことで、わたしは部曲への拘泥がなくなったのだろうと思います。
わたしが部曲の垣根を越え沢山の方と仲良くさせて頂くようになったことが、後々事件を引き起こすきっかけになるのですが、それはまた別のお話。
弓さん、兎さんと一緒にさせて頂いた「なんか色々試してみようぜ」連合ですが、わたしに盟主なんか出来るわけないじゃないですかsさんやrさん等適任の方がおられますしそもそもkさんがやるべきでは!?
とわたしが言ったりしたことはあんまり関係なかったと思いますが、盟主は持ち回りということになりました。
廬山に行かれていた方等が突撃連合のスタイルをわたし達に表現してくださろうともしましたが、
残念ながら理解出来ませんでした、その時は。
集まる意味も解からなかった。莫迦だ莫迦ほんと莫迦だ。
集まらないと陣形発動できねえだろ!
そんで火力を一点集中するから強いんだろ!
そのことを理解するまで、一体わたしはどれほどの歳月を費やしたのか。
莫迦だ莫迦このロリ盾超莫迦だ。
知ってる。
しかし当初この連合は、突撃連合をしようということではなかったのでした。
あまり思い出せませんが、色々試していたような気がします。
気がします。思い出せない。ログ見ればいいのですがログがどれだか解からないちゃんと整理しろぴぎゃー。
後々思い出せたらまた追記します。
いらねー。
しかし時代の流れは突撃連合。
今までのスタイルで勝てなくなったからどうしようかということだったので、色々試した後だったのかもしれませんが、わたし達の連合も突撃連合スタイルになっていきました。
当初は本当に、過去日記晒し上げでも分かったように、わたしは徒党至上主義者だったので、連合内の他の連合と併せるということがよく解かりませんでした。
どうして連合を徒党で分割して考えようとしたのか、可哀想と言うよりほかない。
kさんの再三の説明でなんとなく、ようやく解かってきて
集合の重要性、陣形の恩恵の威力。
そして何かきっかけがあったのかもですが、いつの間にやらkさんが盟主固定ということになりました。最初からkさんの連合だとわたしは思っていたのですが、名実共にkさんの連合となりました。
しかし連合運営は大変だったのでした。
わたしは一連合員でしかなかったので、kさんがどれだけ苦労なさり、悩み、泣きたくなったのか本当のところは解かりません。
察することくらいは出来たかもしれないのに、わたしは察そうとすらしなかったのかも知れません。
もっと手伝えることがあったかも知れません。
みんなでもっと話し合うべきだとは当時から思っていることでした。
しかし中々上手くはいかないものでした。
客観的に見ることは到底無理なので主観になってしまいますが、わたしから見ればやはりどう考えても、連合員一人一人の意識がまったくもってばらばらでした。
各々やりたいことが違っていて、盟主のやりたいこと、kさんのしたいことを理解出来ていなかったと思います。
わたしも理解しようとする努力が足りなかったことは否定できません。今更言い訳してもどうしようもないので割愛。
色々のことがあったわけですが一つ確実だったのは「意思疎通が不十分だった」こと。
じゃあお前は何をしていたのかと言うと
結局最後の最後までなんで激昂がいいのかは理解出来ませんでした。
同じく、なんで増丹が「ちょっと勘弁」なのかも解かりませんでした。
すっとばして書くとわたしは護り大好きだったので護りに配属されると本当に狂喜乱舞しましたし、反対に激昂だと「ごめんなさいもう悪い事しません」と思いました。
しかしわたしには理解出来ないとか出来るとか意味はなく
護り、祝福は党員に負担が大きいとのことで、ローテが通常運用だったようです。
もしも、護り祝福党員がサークルから一歩も出てはいけないとかだったら確かにきつかったでしょうしわたしも嫌だ! と赤チャで叫んだか、黙ってサークル外にでてヒャッホイしていたでしょうけれど。
職については、その頃にはどの職業だと嬉しいですか? と尋ねるだけの頭が出来上がっていました。
しかしそこで帰ってきた答えは「蔡さんは盾がいい」。
そう言われた時わたしがどれだけ嬉しかったことでしょう。
言葉に出来ない。らーらーらー。
しかしkさんはわたしがYさんに盾しないで欲しいと言われた件をご存知でらっしゃいましたし、わたしが合戦で盾ばかりしているのもご存知でした。
だから本当は別の職をやって欲しかったのかも知れません。
わたしも丹をやっていたほうが良かったのかも知れません。
でもその頃一番まともに動けたのは盾でした。
しかもそれが、戦闘的な意味でなく、基本的な移動という次元から始まっているのが非常に悲しい。
多くの方がご存知の通りわたしは自販機に努めて戦闘は一切合財しないほうがよかったかも知れません。
でも残念ながら戦闘したいのです。戦いたいのです。
ならば腕を磨け話しはそれからだ。
しかしわたしは怠っていた。
悔やんでももう3onはない。誰もいない。
そんなわけでわたしは相変わらず役に立たない迷走する盾で、ほんとうに盾でいいのかと煩悶しながらそれでも盾楽しい盾楽しいと合戦に出ていました。
部曲メンやフレがいい順位になったりkを稼いだりするとそれを妬み
「下から見上げるのは首が痛いとすねたふり」をして
ふりどころか本当にすねていたけれどそこはぎゃーすと一言叫び気持ちを切り替えて自分に出来ることは頑張ろうとそういうふうにしていました。
結局頑張れることはもっともっとあったのに何もしていなかったでFAだったでした、今思い返せば。
学んだことは、陣形の重要性、集合の重要性、追尾なんてしないですむならその方がいいということ、目的の明確でない集団は迷走するということ、等等。
名前を淵舞連合(多分エンブレンゴウと読むはず)としたわたしの所属させて頂いている連合は、参加人数が20前後で、大きくもなく小さくもなく、
機動性を重視した遊撃を目的としていたのでした。
鬼神連合さんに併せることが多かったように記憶しています。
後半では徒党至上主義な考えもあらたまり、わたしは連合至上主義になっていました。
そしてその頃、昔の合戦のログを読み返す度に
「昔のわたしはちゃんと自分で戦況を読み、考え、行動していた」
と知り、愕然としたりしていました。
わたしはかつてから後退してしまったのかも知れない。
しかし考えるのは盟主でいい。
だが考えない連合員より考える連合員のほうがいいだろう、とか愚にも付かぬことを妄想したりもしていました。
わたしは時々はソロで動くべきであった。
でも最初から嗅覚なんてもんはないので焼け石に水だったかも知れない。
なんだかんだでアイオンショックもあり、全体の人数が減るならば当然淵舞の人数も減った。
この人数で何が出来る? という時もあった。
火力が足りないから護りは他連合からもらって火力をしよう、という時もあった。
わたしは盾ばかりやっていた。
そして局地での遊撃よりも
敵の本隊とぶつかり合う最前線で戦いたいと思うようになっていったのでした。
09年9月6日、礼服ゲットの時↓

今回は常になく支離滅裂な文になってしまいました。
いつもと変わらないか。