第六回のように全体の流れを書ければいいのですが果たして上手くいくだろうか。
推敲すればいいのにね、めどいからって見直ししないからだよばかだなあ実にばかだ。
脱線に脱線を重ねてきましたが、と言いますかそもそも初めからどんな順番で思い出していくかが決まっていなかったのが原因ですが
まあ全部思い出しながらだからしかたないね。
思い出したらまたさかのぼればいいやうんうん。
読みやすく解かり易い文章を目指しますって前回言った気がするけれどまあいいやうんうん。
うんうんヽ( ゜ 3゜)ノ
星光さんのブログを拝読させて頂き、二期の「みんなで連合やろうぜ! 呼びかけ運動」(違 の顛末が分かりました。最後のほうでは消えてしまっていたのですね。
突撃連合の必要性が叫ばれ続けていた当時、わたしが所属させて頂いていた部曲「まったり淵奏会」でも連合が立ち上がったのは以前にも書きました。
当時わたしは、立ち上げ人であったkさんと合戦について色々の話をさせて頂いておりました。
kさんは「突撃連合が本当にいいものかまだ解からないし、色々試してみたいと思っている」と仰っておられました。
淵舞連合設立時の裏話は前回書いたような気がするので割愛して、当時淵舞に参加していたわたし達がどんなことをしていたのかを書くのもまた次回に回して、
もういい加減二節を終えて三節に行こうそうしよう。
結果として突撃連合こそジャスティスな合戦になりました。
それでも一節からやってきていた人々は、時々往時のライン戦の如き展開になるとやたらに懐かしみ喜んでいました。わたしもその内の一人です。
祝福はまだ全体陣形だったので、可視範囲で敵連合の塊が詠唱していたらもう逃げても無駄、でした。
詠唱見えたら覚悟を決めろ、と部の仲間によく言われましたw
詠唱中の敵連合にぶちかました記憶はこの頃あんまりないなあ。どうだったかなあ。
とにかく野戦なんてほとんど出来ず、篭城、篭城、篭城だったので敵の詠唱中にとっこむのは難しそうですねヽ(゚∀゚Ξ゚∀゚)ノ
どんなに絶望的でも、誰も人数差が……と言わなかった。言いたくなかった。少なくともわたしは人数のせいにはしたくありませんでした。
じゃあなんで負けたのかって、その頃のわたしは、いえ多分今でも理解出来ていないのでしょーがw
当時の動画とか観て頭つかって考えてみるべきそうすべき。
四節ではどうなっていたか解からないのですが、その頃は2chで白星、黒星の合戦結果一覧表を作成して下さる方がおられ、
それを見ればもういーくつねーるとーな必要勝利数なんかがすぐ解かったのですが、それでもわたしは最後まで「魏優勝するし!」と思っていましたw
「赤いチャイナを阻止しろ!」「赤チャイナなど死んでも見たくない!」とお互い鼓舞し合い、必死で戦ったのは二節だったろうか。
チャイナ来た呉民が許昌にやってきてものっそい悔しかった記憶がある。わたしは見たくないからその場から去りましたw
まあ後には長安等で見つけると試着しておりましたがヽ( ゜ 3゜)ノ
「緑のチャイナを阻止しろ!」「緑のチャイナなど死んでも見たくない!」と叫んだのも二節だったっけ?
結局とられて仕舞って、あの負け戦の時は悔しくて言葉もなく戦場に立ち尽くしたものだ。
長安行くのが嫌だったものな。
まあ二節だったか何節だったか憶えていないのですけれども(/ω\)
二節、魏は優勝できませんでした。そしてわたしは、二節の魏が何位だったのか憶えておりません(/ω\)
悔しかったので表彰式にはいかなかったし、他国の順位を気にするのも負けな気がしたので興味がない振りをしていました。
いいえそういう国家情勢くらいは頭に入れておいて下さいあなたはそれでも魏国民ですか。
でも狐娘を追いかけてどこかから長安までマラソンした記憶はあるのですよね。
とっても大きな董卓軍の兵士を三国野良連合でふるぼっこにし死人も出たあのイベントはいつのものだったかと調べてみたら、二節開幕式のイベントだったのですね。
もの凄い人出でマラソン中わたしは終に狐娘を見ることは出来ませんでしたw
その時は古い方のPCでプレイしていたのですが、よくまあ回線落ちしなかったなあ。
今その子は電源ボタン押しても起動しなくなっちゃいました。
回線いじれば蘇生すると思うのですが放置。カワイソス
2垢時のログやSSが残されているので取り出したいから一応修理するつもりはあります。あります。
ところで二節表彰式はちょっとした騒ぎにもなっていましたね。
わたしは出席していなかったので本当に長い間何が起きて魏がどうなったのかを知らないままでした。
街中で「あれ、あの人前は赤い旗だったような」という人を見かけたり、戦場で「あれ、この名前敵の発見報告で出ていたような」というログを見かけたり。
以前にも書きましたが、三節の魏の見違えるような快進撃が、移籍してきて下さった方々の力が大きいのだ、ということはなんとも複雑な心境でした。
単純に図式化すれば、二節最強呉から呉民が魏に移籍してきて魏がめちゃ強くなった、ということになるるわけで、こてんぱんにのされていた相手の力で強くなっているという風にどうしても思えてしまうのです。
これまた以前にも書いた通り、一つの事象は一つの原因では起こり得ない、様々な要素が絡み合った結果の一つでしかない、のであり、
つまり三節の魏が強かった、ということに元魏民とか元呉民という区分をするのはナンセンスなのですが。
一人では回らないどころかうんともすんともいわないのが世の中であり、自分が何もしなくてもかってにくるくる高速回転するのもまた世の中。
わたしなどは、連合の盟主でないのは勿論、まともに前進するのがやっとというくらいのPPだったので、何を言われようと、何を言おうと、残念の一言で片付く存在でしたし。
そういえばPPというのはいつ頃2chに登場した言葉なのでしょうね。
ポイントプレゼンター。
そういうものにならないように気をつけよう、とわたしは、思って、いたのに、なあ(´∀`)
P厨という言葉が流行り出すのは、PPという言葉が定着するよりも後だったと思います。
当時は○○厨という言い方がネットで大流行だった記憶があります。東方厨とか、ボカロ厨とか。
スイーツ(笑)が流行り出すのはその少し後だったでしょうか。
まあいい。
大分話が脱線してしまいましたが、いつものことですね。
三節になってなぜか勝ち出す魏。
敵国の弱体化、魏の戦力増加、魏の連合練度うp、魏が本気出した、優勝した呉の気が抜けた、泰山ジンクス発動
理由は様々考えられますが、これもまた一つの事象に一つの原因だけが(ry
久し振りの野戦を三節で魏は経験するのですが、「魏は野戦になれてなくて、おっかなびっくりしているね」と感想を述べていたフレに対し、
わたしは顔真っ赤にして「魏は昔から野戦の方が得意だったんだよっ 追いかけすぎるという特性もあるんだよっ」と力説しました。
これ前にも書いたな。まあいい。
しかし二節からの魏民の皆さんなどは、魏は野戦苦手、というイメージを持っておられるのでしょうねw
でも面白かったのは、あれだけ戦場所狭しと駆け巡っていた魏民が、ほんのしばらく長い間少し篭城戦ばかりを繰り返した後、すっかり走り方を忘れていたことですw
野戦になれたら今度は篭城苦手になるのかなあ、なんて先のことを杞憂してみたりしましたw
何度も合戦を繰り返す内魏は野戦を思い出します。
三節の各国の力具合があんまり思い出せない……。
でも蜀は、一節とは比べ物にならないくらい強かった。
呉よりも蜀が怖い、という逆転が起きたのはいつからだったか。三節からか。
圧倒的人数、密度で襲いかかってくる緑の波。
3onやって学んだ格言、「戦いは数だよ」
骨身に染みたなあヽ( ´ー`)ノ
敵の早目の篭城に対しては顔真っ赤にして門割りに行ったり。
さて。
その頃各連合さんがどのように連携をとっていたのかわたしは詳しく知りません。
戦場チャや赤チャで○○連合どうします、こうします、どこそこにいます、突撃します、撤退します、移動します、
そんなログが飛びかい、合戦開始前にはどこの連合が何陣へいくかという報告が必ずありました。
会議のようなものはもうなかったのかな、この頃は。
それでも開始より少し前に人が集まってきて、桐龍さんが本日の陣、敵等の基本情報を流して下さり、どこの連合が何陣へ行くかという点呼をとっておられました。
桐龍さんがいないと合戦マップが解からない、とよく言われており、桐龍さんが遅れてくるとか欠席とかなるとにわかに騒然となっていたなあw
淵舞連合は盟主の得意な陣を選んだり、他の連合がどこに行くかで行き先を決めたりしていました。
判断基準は他にもあったのだと思いますがそれはやっぱりわたしには解からないことでした。
三節の魏と言えば、空気嫁戦法、でしたね。
わたしには一体何が起きているのかも解からなかったのですが、「さすがだ」「すごい」と興奮して語り合っている部員さん、連合員さん達の様子から、魏はNTなんだなと理解していました。
心で通じ合っている。うほっ
ひがしもんおいしい、とかほんとすごかったみたいですね。わたしはいなかった(´;ω;`)
そして魏民はとにかく攻めるのが大好き、押せ押せが相変わらずで、点が危ない、というときも安全策をzえんぜんとろうとしませんでした。
篭城なんか大嫌いだ! とは誰も言っていなかったと思いますが、もう一生分体験したからいいや、という気持ちはあったのかも?w
どんなときも攻めて勝ちたい、わたしはそう思っていました。
勿論安全策を推奨して下さる方々もちゃんとおられました。
相変わらず脳筋なので危ないよーと言って下さる方々も。
しかし、以前のように沢山のチャットが流れることはなくなりました。
「これいじょうつっこまないで!」「一度戻って!」「あわせて行きましょう」「止まってー」「怯むな! 押せー!」
昔はそんなチャットがズガガガッ と流れていたのですが、いつの頃からか見かけなくなっていきました。
変わりに、様々に個性的なマクロが流れるようになりました。
カウントダウンというのも見かけなくなり、カウントダウンを利用した全軍が同時に突撃する、という篭城必殺技のカウンターもあまり見なくなりました。
専ら多段突撃だったのかな。第一連合がわーわーやっているところへ第二連合がわーわー突撃し、皿に第三、第四と波状を被せる。
裏取りや挟撃なんかも行われていましたね。挟撃が決まった時、援軍が駆けつけてきてくれた時の、あの高揚。
アドレナリン噴出しまくりで、このまま空だって飛べるぜえな程に興奮しました。
敵をつり出す為の囮突撃というのもあったなあ。あれも上手くいくとのーみそがフットーしちゃいそうだよぉでしたね。
しかし、餌を食ったのとられたのうまいのという意見については、どうにも最後までわたしは腹が立っていました。
どこの連合が食おうが、誰が食おうがいいじゃない。
今の○○連合に食われた、横取りされた
そういう発想がわたしには理解出来ませんでした。
よっしゃー味方がやってくれたぜ! きゃっほーい!
な状況だと思う、わたしは。
あるいは、味方が頑張っているな、俺達も頑張るぞ! となる場面なのでは。
競争心はよいものです。しかし自尊心を満たそうとする競争心がいきすぎるのはいかがなものでしょう。
やっぱりわたしは、あのランキングとかいう看板が、結束やスタンドプレイから生じるチームワークというものに不快な波紋を広げたと思っています。
ランクインすること、目指すことがモチベーションの維持に繋がるのは確定的に明らかなのですが、さもしい心の蔓延の方が凌いでいた。
しかしそういうことを言うとランク外PPの負け惜しみにしかならないので黙っているのがわたしにはお似合い。
部曲順位も全員分足して割られて平均されるのはあまり良くなかった。
「せっかく俺頑張ったのにあいつのせいで相殺されちゃったよ!」となる。
わたしは相殺しちゃう方の人間だったのでこれまた肩身が狭いごめんなさいほんとうにすみませんでした許して下さい
そう思うなら合戦出るな、出たければポイント稼げ、ですね。
ほんとうにわたしはポイントというものはどうでもよかったでした。入れば嬉しいし稼ごうとはしていたけれど、それにこだわること自体が嫌でした。
そんなことより合戦で勝ちたかった、魏国が勝ちたかった。
を、ではなく、が。俺達が。
わたしは勝ちたかった。
しかしわたしは死んでいた。
何を言っているんだ。
ぐだぐだ言っていますがポイント稼いでそれで勝てばいいだけじゃんね。
ポイントキニシナイとか言いながら一番迷っていたのはわたしでFA。アワレ。
まあ看板のことはまた今度にします。黙れ小僧。
三節は勝ったり負けたりしながらも魏は着実に勝利を重ねてゆき、二度目の正装を獲得します。
わたしは一枚既に持っていたのに、みんなと一緒にはしゃぎたくてもう一枚交換しましたヽ( ´ー`)ノ
どの連合さんも募集をかけてらっしゃいましたが、わたしは中々淵舞以外の連合に行く勇気が出ませんでした。
次回はその辺りの話からしてみたい気がします。
それにしても三節の記憶が曖昧杉、ログ確認しろまじでw
9年5月31日の合戦の様子。三節です。

世にも珍しい、羽扇持ってるわたしの姿ヽ(゚∀゚Ξ゚∀゚)ノ
イベ戦とかだったのかな。そうでもなけりゃ妖なんてしないだろうなあわたしは……w
そしてブロントさんにはまりまくっていたらしいのが確定的に明らか。
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