天威さんのブログで特攻隊のお話が書かれておりました。
読んだらばもう色んな思いが怒涛の勢いで押し寄せて、コメント何度も書き直してようやく書き込みましたがまだ書き直したいもっとよく考えてから米しろあうううううう恥ずかしいこの場でお詫び申し上げますいつもめちゃくちゃ長いコメントしてごめんなさいごめんなさい!!!
戦争の話は駄目です。
駄目駄目です。
全く考えがまとまりません。
考えても考えても尽きなくて、底なしに続いてしまうのです><
嫌いだとか、やりたくないとか、起したくないとか、悪いことだとか、
そういった判断、断言の一つすらわたしは出来ません、戦争について。
今も途中まで書いた文章をデッリートしました(/ω\)ナンドメデスカ
長い上にzえんぜんまとまってない。
呆れるほどだらだらと長い思考の末になんとか答えを出しても、それについてまただらだらずるずる考えて込んでしまうのです。
そしてなんと言っても間違っているような気がして、いい足りていない気がして、自分で納得できないのです。
本当は天威さんの記事を読んで思ったこと、考えたことを自分の日記のネタで書こうとしたのですが無理そうです。
わたしは戦争嫌いだなんて言いたくないんです。
もちろん大好きなわけもないんです。
3onの合戦は死ぬほど好きです。
戦争は間違ってるとか言いたくないし悪かったとか言いたくないんです。
希望的観測のように夢想してしまうのは
守りたいものがあった。
負けたけど守れたものがあった。
わたし達だ。
そんなことと、その他もろもろ。
やっぱり言葉に出来ない。らーらーらー
わたしが戦争について考えようとすると、その前やあとや最中に関係あるような無いような沢山の事柄が絡まってしまいます。
その一つに風土と国民性というお題があります。
よく言う話ですが、西洋の自然は人間に従順、東洋の自然は時に恵みを与え時に奪う、アフリカとかは厳しい自然。
庭を観たら解かり易いです。
西洋風のお庭は庭木を四角や熊の形にカッティングし、整然とパズルのように整えます。
日本のお庭は自然そのものを生かすようにしています。
東洋と言いますか日本では、自然環境とは共生するものです。里山がいい例ではないでしょうか。
豊かな恵みもあたえれば、台風や地震や、大きな被害も与える、そんな風土。
ヤマタノオロチ伝説もそれをあらわしていますね。
ヤマタノオロチである豊かなな川は、イナダヒメである豊かな豊穣を齎すが、時に増水してそれを奪い、人の命すら簡単に奪う。
スサノオである治水工事によって荒くれ川を治めたりもするわけですが、とにかく日本の自然は二面性があり、御すものではなく上手に添い遂げるものです。それが上手くいく秘訣です。
一方西洋のそれは従順で、人の意のままになります。穏やかなのです。
支配し、強制し、思うとおりに導く。それが西洋の人と環境の付き合い方です。それが上手く行く秘訣です。
風土は人間性に関わるとわたしは考えました。
文化、人間性は、風土に左右される。
日本人は日本という国に住んでいるから日本人になったのではなく、日本という土地に住んでいるから日本人になったのです。
だから、西洋的な思想が日本人にぴたりと合うはずは無いと思います。
彼らの世界では庭木を熊にした方が物事はうまくいきますが、日本では庭木を熊にしても上手くことは運ばないのです。
みんな同じやり方をすればいいというわけではありません。
どちらかが優れているというわけでもありません。
そこに生きているということと、生き方がぴたりとかみ合っていることが素晴らしい、とそういうことなのです。
金子みすゞは言っています、「みんな違ってみんないい」
わたしはこの言葉を、「みんな違っていていい、違っているからいい」と時々意図的に聞き違えます。
昨今言われるグローバル化とは、アメリカ化のことです。って言ったら暴論か? まあいい。
昨今求められているグローバル化とは、一律化のことではないでしょうか。
全ておんなじなら確かになんでもやりやすいです。
でも本当の意味でのグローバル化というのは、多様性を共存させることではないのでしょうか。
お互いの違いを認識して共生を努力することではないでしょうか。
卵を統一規格のパックにつめるのではなく、おがくずにつめるようなことです。
卵はみんな卵です。
でも一つ一つ形は全く違うのです。
ぴたりと合う卵もあれば、小さいのも、はみでるのもあります。
それでもやっぱり卵は卵なのです。
人が人と仲良くなりたいと思ったらどうするでしょうか。
相手のことを知ろうとするのではないでしょうか。
今世界が目指しているらしいグローバル化というのは、相手のことなどどうでもいいのです。「自分と同じにしろ」ということです。
大きいもの、小さいものはいらない世界です。あるいは大きかろうが小さかろうが、みんな同じ形である、同じ形であれ、とそれが美徳とされることです。
仲良くはなれません。
自分と同じになるのですから、お互いよく理解は出来るでしょうが、それは仲良くなることではありません。
だからわたしは言ってるんだよ! 何が第二母国語だ! 英語勉強させる暇があるなら日本語勉強させろ!
ま、一律がいいという気持ちもやっぱり風土がそうさせるのだとわたしは思います。別の風土ではみんな違ってみんなよくても、また別の風土ではみんな一緒がいい、のですね。
戦争についてはもっとちゃんとしっかり推敲してみまふ><
そしていつか記事としてりべんぞするんら。
「人形が怖がるといけない」と言って人形を背中に負ぶったお兄さんのこと、手紙を届けた人のこと、読みながら涙がとまらなかったけれど、わたしは泣いた理由を上手く説明できません。
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