京極夏彦の「絡新婦蜘蛛の理」を久しぶりに読みました。
初めて読んだ時からこのお話は苦手でした。
読んでいるとすごく辛くなるからです。
もうこれ以上読めない、と、苦痛に耐えかねて何度も本を閉じました。
短編の「毛倡妓」もそうです。
あもりにも辛いので読後に筆をとってだらだら書き付けあまつさえ人目に触れさせようかと錯乱したほどです。すんでのところで思いとどまりましたが。
そんなに悩乱するのは文体が稚拙で読むに耐えないとか、もちろんそんな理由からではありません。
本の中で起きている出来事があまりにもわたしにとっては受け入れがたく耐えがたい、出来るなら入っていってぶち壊したい我慢ならぬことばかりだからです。
声高にあれはこうだそれはどうだこんちくしょうめと罵りながら読まずにはいられないのです。
つまりわたしは「絡新婦蜘蛛の理」を始終激昂したり悄然としたりしながら読んでいるわけです。
だから大変疲れます! 疲労困憊です!
それでも読むのですね。
ええ、嫌いでも好きなのです。
アンビバレンツですが仕方がありません。わたしはやっぱり百鬼シリーズ(今まで憑き物落としシリーズと呼んでいました)の「絡新婦蜘蛛の理」も好きです。
で。
面倒なので蜘蛛と呼びますが、蜘蛛にはイワナガヒメとコノハナサクヤヒメのお話がちろちろと出て参ります。
サクヤヒメは某神ゲー大神にも登場しますね。正式なる続編にはイワナガヒメもでてこないかなーなんて思っています。
サクヤヒメはににぎのみことのお嫁さんで、美人で美しくてかわいいとかまあそういわれていますね。
イワナガヒメはサクヤヒメのお姉さんです。
一般的な二人の女神のお話は以下のようなものです。
イワナガヒメもサクヤヒメも一緒にににぎのみことに嫁ぐのですが、ににぎのみことはイワナガヒメが不細工なのでいりませんと丁重にお断りして実家に帰してしまいます。
それを聞いた姉妹女神のお父上は、
「プゲラw馬鹿な奴wサクヤヒメはまさに桜、美しく栄えもするが桜のように儚く散るお。イワナガヒメはまさに岩、美しくないしぱっとしないけれど永遠の磐石な命を得られるのにwww二人セットで娶らないとかアホスグルwwwうぇうぇwwww」
と言ったといいます。
これによって我ら人類の寿命は一定で尽きることになったのでした。ちゃんちゃん。
わたしはこのお話が昔から気にくわなかったのです。
ブスだから離縁するとは何事か。それが男の気概か。情けないやつめ。そんな奴の子孫なのか我々は。
ところがどっこい、これは男性原理でお話を解くからそうなっちゃうのですね。
実際のところは以下のようなものです。
ににぎのみことは、二女神の父上(母上でもあるのですが)にお前の娘を嫁にくれと言います。
親がくれたのは妹のサクヤヒメ。ににぎのみことは姉のイワナガヒメをくれようと言います。
でも親神は「駄目だ駄目だ」と拒否。
なぜかと言いますと、今でこそ父系社会、家長制当たり前、子供は父親のもの、姓は夫姓でしょ、嫁は夫家に隷属するもの、という社会認識になっておりますがずっと昔は違います。
母系社会でした。
母系社会でもやっぱり家督を継ぐのは長子ですね。中国式に解釈しますと長子ではいけませんがね。子というのは男のことで、女の子供は女としるされるのです。
だから皆様もご存知の通り、三国志の誰それの伝には「○○、子は無し。女一人有り」と書かれているわけです。
これについて「女は子供としても認められなかったのかおのれ男根主義社会め許すまじ!」と憤るのは早計かなと思ったりもします。
たんに今でいう「男の子」という単語が「子」の一字で表されていただけなのかも知れません。
まあその辺りはちゃんとした辞書を調べればさっさか解かりますでしょうがね!
横道にそれました。
つまり、長女が家督、財産、とにかくなんでも引き継ぐ存在だったのです。
要するに長女を嫁に出したら家督を継ぐものがいなくなり、一応妹はいますが第一権利者をわざわざ家から出してやるほどの男でもないと、ににぎのみことは判断されたわけですね。
これはににぎのみことにとっては格好が悪いので「イワナガヒメはぶさいくだったに違いない!」と捨て台詞を吐いたのです。
まるきりきつねと葡萄のお話ですね。「あの葡萄はすっぱいに違いない!」
それでも一応フォローは入れているのですね、自分の軽挙のせいで人類は死ぬようになっちゃったんだお、という。
「だからイワナガヒメさんは凄いんだお、ブスだから嫁にするのは嫌だけどね」
というわけです。ふう。
さて、ににぎのみことは赤恥かかされるわけですが、その後本邦は父系社会となるわけで、子供も父親のものということになります。
暴論めいたこともいいますが、でもやっぱり暴論ではないと思いますが、父親というのは生涯、自分の子供が本当に自分の子供かどうか解からぬまま終わります。
ににぎのみことはサクヤヒメのお腹に宿ったお子を「本当に俺の子か」と疑ったと言います。
男性原理的に言うサクヤヒメの不貞(笑)を糾弾したいのでしょうがどう読んでも「ににぎのみことケツの穴ちいせえ」としか読めません本当に有難うございました。
今ではDNA鑑定というのがありますが、それだって信じる信じないも問題に置換可能でしょう。
まあ科学的根拠というのうたがっちゃあなにを信じて生きろという感じではありますが。
一方母親は、父親が誰だろうが自分が産むのですから産んだ子は皆自分の子ですね。
だから跡目だ誰の子だなんだと入らぬ疑念妄執に踊らされることもなかろうなのです。
母系社会の方が解かり易い、それどころか筋が通っているなあと思うのです。
それが現在の社会原理に合致するかどうかは別問題ね!
家族を構成する要因がお互いを必要な存在だ、大切な存在だと思い、慈しみ合う家庭が営めるのであれば、母系だろうが父系だろうがそれは瑣末な問題でしょうきっと!
父親は俺の遺伝子が混ざってる子かどうかなんて下らないことに執心しないで、俺の大事な嫁さんが生んだ子だから俺の大事な子! と思えって話ですね。
さてまた横道にそれた感。
コノハナサクヤヒメというのは、お名前の通り桜なイメージの神様なのでしょう。
コノハナといえば木の花で、木の花と言えば桜でした。
と言うよりも、木に咲く花ならなんでもコノハナと呼ぶという暴挙振りが古代日本人の姿です。
アンズだろうがウメだとうが関係ありません。
色だって明るければアカ、暗ければアオです。
で、最前述べました通りイワナガヒメは岩とか石とかなわけですが、これが、富士の山だという説、あるいは神話、説話をわたしはどこかで読んだのです。
一般的には、この姉妹の女神のお姿を何かに仮託するとき、富士山はコノハナサクヤヒメの分担で、もう一つべつの、ごつごつした山がイワナガヒメなのですが、
非常に愚昧なることにわたしはこの二女神の親神の名前も失念している上山の名前も忘れているのですが、ああ親神は山の神でもあるのですが、
ともかく、サクヤヒメは富士山、イワナガヒメはごつごつした山、で、両の山にはそれぞれの女神のお宮もあった。
そればかりか、イワナガヒメはサクヤヒメをうらんでいて、それがお宮にも表されている云々。
いかにもこのお話は男性原理に基づくににぎのみこと視点解釈なのでわたしは気に食わなかったのをよく覚えております。
あと、姉妹の仲が悪いというのが個人的に悲しいのでいやなんです!
ちーちゃんとぴーちゃんが仲が悪いというのもいやなんです!
だからわたしは彼ら曹兄弟が仲良しだったとあの手この手で自分に言い聞かせております。
で、
気に食わない説と一緒に、コノハナサクヤヒメはまさにそのまま桜であり、イワナガヒメは富士山だ、というのも読みました。
富士山はその昔、少なくとも「伊勢物語」が完成する以前は、「しほじり」のような形をしていました。
つまり山頂までぴっちり整った円錐形です。
それがイワナガヒメなのですから、雄大で、神聖で、美しかったのです。
でも肝心のその話を一体どこで呼んだかというのをすっかりさっぱり忘れてしまいました!
どこだったかなあああああ
わたしがそんな話を京極作品以外で読むとも思えないし京極以外にそんな話を書く人があろうか?
蜘蛛には二女神は出てきますが、山の話やお宮の話までは出てきません。
ひょっとして次の「塗り仏の宴」に出たか?
でもあの話にサクヤヒメとイワナガヒメって出てきたっけ?
わたしの記憶ではそれなりに登場人物も出てきて、山に登ってお宮を確認していたような。
一応観てきたようにお宮のある情景が浮かぶんですよね、どっちのかは解からないのですが。
それは多分、確固たる文章を読んで己の中で像を構築したということだと思うのですが、
もう随分前に読んだきりなので思い出せません><
それとも炭焼長者系の説話やらを呼んでいた時に当たったのかなあ。
赤城山の女神のこととかも読んだのでそれ関係かも知れません。
イワナガヒメは富士山なんだよーというネタを読んだ記憶のある方、もしよろしければ教えてくだたい><
気になって気になって、夜は眠れる状態です><
そうそう、それから最近思ったのですが、残念な男が女に吐く言葉というのは遍く自己紹介なのかも知れませんね。
例えば
「お前はいんばいだ、汚いめすだ」
これは
「俺はいんばいだ、汚いおすだ」
と言っているのでしょう。
多分汚い言葉で罵られた女性の方は、じゃあチソコたててるお前はなあにと思うことでしょうが、自己紹介ととらえればなるほどと納得できるのではないでしょーか。
淫蕩な女性は罵られるのに淫蕩な男性はそれを誉れとされるのは納得がいきません。ゲイやレズでは違いますが性交というのは男女揃わないと出来ないものですから同じことしているのに双方違う捉え方をされるのはおかしいです。
性的なことは恥ずかしいことなのか? お? わ? 公の場でみだりにしてはならない隠されるべきものであるのは明白だがそれいこーる恥ずかしいことではないだろう。
秘されるべきこととみっともないことは違う。
それを混同しているのか。
遍く間違っていることというのは混同から始まるのか。
そう言えば残念な奴というのは延々と自分の自慢話を語るものです。聞いてもいないのに。女性に対してだけではなく遍く全てに自己紹介したがるのかな。
俺はこれだけのことをやった、だから偉いんだ!
ひょっとしたら彼らには、「自己紹介」以外に言語活動を知らないのかも知れません。
だから他人も自分と同じように考え、生き、行動していると簡単に思い込むのでしょう。
要するに稚拙なんですね。
もう一度お母さんが優しく育て直してあげればまともになれるのかも知れません。
まあ人口過多ですし残念なやからはみんあ粛清してしまってもかまわないかも知れません。
そうすると例えば政治家などの職種についている残念な人が困るから、まあ困った奴が野放しになっているのでしょうね。
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