こんにちは、わたしです。
ログの整理をしていたんですよ。
そしたらぽっかり抜けているのを発見しちゃったんですよ。
あわてて隅々まで探してみたんですよ。
どうやらはじめから無かったみたいなんですよ。
某アレでアレ起動していた時に上書き保存になっちゃったのかな;;
無かったのを確認したのは10年七月六日の合戦終了後、裏巫女に行く為にCCしたその続きのログ。
裏に行った形跡がない!!!!1
杜穆ちゃんのログ等を挟んで蔡殊の露店ログになってるう;;
こういうの結構ありそう……がっでむ。
うう 全部あるとおもっていたのに一部欠損しているみたいです。
とびちってしにたい!!!!!!!!!!1
自分がうpた闘技動画を久し振りに観て
「あれ? わたし結構イカした指揮してるじゃん♪」
とか思ってしまいました。
それってどーなの?
思い出補正?
というわけでZOOMEは8月31日をもって終了となります。
お気に入り動画のDLはお早目に。
最初はズーミー落としを愛用していたわたしですが、後半は春さんに教えて頂いた火狐のDLでばかすか落とさせて頂きました。
御陰様で外付け300が@22Gしか空いていません。
ふじこふじこ!!
今回は碧さんが公開して下さった素敵な動画をぺたりんこ↓
はい、四期になりました。
正しい呼び方は四節、でしょうか。
この四節、本当に沢山のことが有りました。
沢山のことがあったのにこのわたしの残念なお脳は大部分を忘れてしまっていてあやふやのわやわやになってきています。
ので時系列がぶっとんでいると思われます。あしからずヽ( ゜ 3゜)ノ
さて。
節と節の間は言わずと知れた移籍期間です。
一節と二節での魏が様変わりしたように、
二節と三節の魏が変化したように、
当然のごとく三節と四節でも魏軍の様子は一変しました。
りふぃあさんが呉に移籍なさってりふぃあ連合がなくなり、みんみんさんが引退なされたのかログインされなくなったのかで邪気連合の盟主さんが代わりました。
当時みんみんさんのブログを読みに行ったわたしは、なんで味方と戦わなきゃいけないの、みたいなことが書いてあったので、みんみんさんが3on辞めたのはりふぃあさんが呉に行ってしまったからだと思っていました。
本当のところは今でも解りませんヽ(゚∀゚Ξ゚∀゚)ノ
でも、二人の盟主がいなくなってしまったことは、一雑兵でしかないわたしでも「大変なことになった」と青ざめるくらいに衝撃的だったのは確定的に明らかです。
わたしのフレも何人かが呉に行ってしまいました。
引き留めたかったですがそれは個人の志に寄るところ、楽しみ方は人其々、せっかく移籍出来るのだからシステムを味わいつくさないのは損でもあります。
というわけで涙を呑んで見送りました。うわーん
魏民! と思い慕っていた人々が他国に行ってしまうのは切なく寂しいものです。
手前勝手な思慕とは解りつつも悲しいもんは悲しいんじゃい。
別ゲに行ってしまったというのも大変悲しいのですが、移籍というのは同じであるがゆえに、同じであったがゆえに余計こたえました。個人的に。
可愛さ余って憎さ百倍という感情と同じ類のソレなのでしょうか。
もう他国に行ってしまったフレは問答無用で/選択 ○○ しますよね。
愛ダヨ愛。
さておきまして。
減ったりもした連合ですが、新たな連合がが発足したりもしていたようです。
鬼神連合からは、盾の契り発案者の三星さんが連合枚数の減少を危惧して独立し、新連合を立ち上げることになりました。
危うく連合名が「ロリ盾連合」だか「蔡樹連合」だかになるところでしたが普通に回避できました。
でも突撃マクロに「ヽ(゚∀゚Ξ゚∀゚)ノ」が入っていて嬉しいやら恥ずかしいやら複雑でした。
盾の契りのこともあるので、わたしは三星さんの無印連合にお邪魔させて頂きました。何しろ鬼神連合のきっかけを下さったのは三星さんです。
初陣の日に桐龍さんも参加なさっておられ、頭上表示の絵文字をお渡ししたことを今でも鮮明に思い出せます。
辞書ぶっとんだせいでもう出ませんけどね!
で、わたしは悩みました。
鬼神か? 無印か?
初期は蜀と呉とで行ったり来たりしていたような気がしますが、二足のわらじはなんとやらと申します。
そんなわたしを決心させてくれたのは司空さんでした。
鬼神連合を通じて仲良くなった司空さんは、とある合戦の時わたしにこう言ってくれたのです。
「たまには鬼神にもきてね」
そう言われた時、その言葉を聞いた時、わたしは鬼神で戦いたい、ということに気付いたのです。
盾仲間が減ってしまったのは寂しい限りでしたが、人には人の道があるのです。
わたしの道は鬼神にありました。
この時の一件は、ただこれだけでも十分にわたしの心に強く残る出来事だったのですが、実は続きがありました。
それはまた次の機会のお話となります。
で。
わたしは盾がいっぱいいるヒャッハーということが、そうだ鬼神連合に行こう! と思うに至った原初の理由でした。
ところがどっこいしょ。
ユーザーの斜め上を行くことで有名な肥が本領を発揮してくれちゃいました。
龍虎共闘史です。
援軍システムです。
時間差合戦です。
合戦場に入れない事態発生。
このやろうがああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ
これについてはわたしは未だに怒りを禁じえない!!!!!1
このいらねえシステムのせいで、廬山など他鯖から援軍に来て下さっていた方々が、遠慮して来なくなってしまったのです!!!!!!!!!!
結果、鬼神の盾兵が激減しました。
うわーんんんんんんんんんん
それだけではありません、自分達の戦が、他人のものになっているというこの疎外感!!!1 蹂躙された感!!!!!1 絶望感!!!!!!!!!!!!!!
援軍? 有難迷惑なんだよ!!!!!
この合戦は、魏と蜀の、或いは魏と呉の純然たる殺し愛だというのに、横からチャチャを入れてくれるんじゃねえええええええええええええええ
援軍の力で勝ててそれで勝利を喜べるのか? ああん? 喜べるのか!? 俺は喜べない。
どんなに頑張っても援軍国のおかげってことになるだろうがああああああああああああああああああああああああああああ実際多いに援軍は助けてくれました有難うございました
とでも言うと思ったのかこのやろおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお
PPし放題じゃねえかああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ
わたしはだから最後の最後まで援軍には行きませんでした。
九陣合戦の一度きりです。
他国民が参戦したせいで自国の合戦に入れなかったとか悔しいを通り越してはらわた煮えくり返ります。
しかも勝敗がそれによって左右される!!!!1
屈辱です。
この上もない屈辱でした。
しかしその怒りを呉や蜀からの援軍の皆さんに向けたことはありません。
そっちに行く前にふつうに運営を憎みました。
援軍に来て空気嫁てない行動をとられる方もおられましたが、そういう方に対しては何こいつイライライライラなんて生意気にも腹を立てたりしましたが、
ユーザーはシステムを力の限りに全力で堪能し尽くすのが当たり前です。
援軍出来るならするのは当然。
だからこそ運営が憎いああ憎い今でも憎い憎い憎い憎い憎い
他鯖への援軍という、人の繋がりを奴らは絶ち、
国民として戦争し勝利をつかむという誇りを奪った。
我らから、絆と誇りを同時に奪いやがったのだ!!!!!!!!
なんという悪逆!
なんという非道!
天が許してもこの蔡樹が許さぬ!!!!!!!!!!!!!1
にくむべし、にくむべしいいいいいいいいいいい
キレまくっていたわたしは、戦場に入れなかった時に要望メールだしたり不具合報告したりGM凸したりしていました。
なんて痛い子。
とどこかで思う自分もいますが。
勿論喚き散らしたりなんかしませんでしたよ><ノ
援軍システムのおかしさと不満を丁寧な言葉を選んで述べただけです><ノ
そういうわけで、援軍システムは更なる過疎化の呼び水だったのです。
援軍システムによって500vs500にはなり得たでしょうが、それは見かけだけであり実際の国民数は減っているのです。
メイン鯖が別鯖だとしても、泰山魏民であった人が、援軍システムで遠慮して参加しなくなったわけですから、国民総数は減ったのです。
なんてことしてくれるんだこのks運営がああああああああああああ
本当にあの頃の運営は、ユーザー数を減らすうpでに余念が無かったと思います。
三鯖あるんだから複数鯖で遊ぶという楽しみは肯定されて当然なのに、それを真っ向から自分で否定するとかどんだけ頭湧いちゃったの?
ばかなの? しぬの? しね!!!!!!1
まあ本当にあの頃の合戦は援軍次第でした。
数が多い方が勝つんです。
白い方が勝つんです。
元ネタは知りませんすみません。
怒りは未だに収まりませんが話を先へ進めます。
三節とは仕様も国を構成する人間も変わっていたので、合戦ではそれまでとは違った戦い方、新たな戦い方が求められました。
同じようにやっても勝てないのですから、些末な部分から大きな所まで、各連合、個人個人の戦い方が変わっていきました。
栄枯盛衰、不易流行。
解ってはいても、前代の記憶は色鮮やかな思い出というやっかいな神聖を帯びて、わたしの脳裏にちらつき続けました。
鬼神連合は人数が減りました。
それは他の連合も同じだったと思います。
そもそもユーザー数自体が減っていました。
肥のksうpと、いつまでも情報が追加されない公式HP、
そして音沙汰梨の礫な拡張パック。
あらんかぎりのマイナス要因がユーザーのやる気を奪っていきました。
それでも、課金を続けた各国戦士達は、戦い続けました。
泰山鯖にはジンクスがありました。
たった二年未満でジンクスも何も、とは思いますが、それは「前節の優勝国は最下位になる」というものでした。
だから、魏は「勝って兜の緒を締めよ」状態だったわけです。
それでも蜀がめちゃくちゃ強かった。
三節でも化け物のように、グリーンドラゴンのように強大だった蜀が、益々強くなっていました。
わたしは正直、暗黒期再来か、と思ってしまいました。
呉は人数が魏並に落ち込んでいました。
それでも魏を圧倒することがしばしばでした。
寡兵で勝つは魏の専売なのに、とわたしは悔しがりました。
今の呉は、まるで昔の魏みたいじゃないか! と。
こんなものではないはずだ、魏はもっと強いはずだ!
わたしの中に今も在り続ける「最強魏伝説」、それを揺らがさぬようわたしは見えない何かと戦い続けていました。滑稽。
邪桐連が誕生したのはいつだったでしょうか。5月13日よりは前だったと思うのですが。
蜀呉にこてんぱんにされたり、やり返したりしながら、魏の四節は続いていました。
連合枚数が減ったことで、各連合への負担、各盟主さんへの負担が倍増していました。
それは大変なプレッシャーだったのだろうと思います。
今期も優勝する為に、と、魏は再びと言いますか毎度のことと言いますか試行錯誤を重ねていました。
それは、蜀も呉も同じだったでしょう。
わたしは弱気に、もう蜀には二度と勝てないんじゃないか、と思ったりもしました。
人数差が無いのに勝てなかった時ほど悔しかったことは無かった。
こんなの魏じゃない! いや、これも魏だ。畜生、強くなるぞ、なるんだぞ!
そうやって歯ぎしりしながら、でも合戦のことが好きでたまらなかった。
ゴールデンウィークに岡山へ行き沢山の方とお話する機会に恵まれ、ほくほく顔で「これからも頑張りましょう!」と言ったわたし。
とある深夜に、じゃんぼさんと連合について、これからの合戦について語り合いました。
魏は苦しい状況にいるようだけれど、だからこそやってやろう、これからが楽しみだぞ!
そう思って胸を躍らせてもいた。
三節とは大きく沢山のことが変わっていた魏。だからこそまだまだこれから、でした。
そして、五月十三日がやってきたのです。
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