かつてとつとつとしたためていた3onプレイポート。
今再び読み返すと、なんとも浅はかでばあかとしか言いようのないわたしがそこにいました。
今でも十二分にばあかなのですが(/ω\)
やはり当時の、少なくとも二期PO時のわたしは、合戦における徒党がなんなのか、連合がなんなのかまるで理解していなかった。
わたしは戦場で野良連合を募集しているフレから勧誘を受け、彼(男キャラだったから彼でいいよね)の連合に入るなり、
フレと同じ徒党でないのを不満に思ったりしているのです。
後の編成で同じ徒党になって安堵を示していたりするのですが、どう考えても徒党をチャット部屋程度にしか考えていなかったことは明白。
このような有様だったから、盾を持っているのに槍党首の剥奪徒党へ配属されることや、丹党首の護りへ配属されることを快く思っていなかったのだろう。
その頃のわたしは、まさに合戦でチャットしつつ死ぬことを喜びとしていた、と言って差し支えないほどの馬鹿だったのです。
嘆かわしい。
余談ですが、「復利伊奈協会」が「まったり」と合併して「まったり淵奏会」となるのは、2008年㋃のことです。
魏の軌跡については、三頭猟戌さんのHPにある「その時歴史が動いた」記事が大変解かり易いのでそちらを是非是非拝読して頂くとしまして、
黙示録その1で記したように、正しかったのか間違っていたのかはさて置いて合戦を合戦として考えてらっしゃったYさんがご引退なさいました。08年8月17日のことでした。
Yさんがいなくなってから淵神さんとは交流がなくなりましたが、夏侯淵之弓さんとはぼつぼつと関係が続いていました。
合戦で一緒に徒党を組んだり。
連合じゃなくて徒党というのがミソですね。
やはりこの時点でも連合? ナニソレ美味しいの? でした。
更にその前には長曾我部家さんとご交流があった記憶がある。そのことについては部内で、合併という形になって部が消えてしまうのではないかという心配が出ていたのをここに記しておきます。
まったりと復利伊奈協会が合併したばかりの頃だったと思います。
さて。
その内に他部曲さんと合戦で一緒することもなくなり、完全に部曲内及びフレ内で合戦に参加するようになりました。
魏は制覇を制しますが、
極めた頂点は、転がり落ちる長いスロープの始点だったのです。
そして暗黒期が始まった。
相も変わらずわたしはわたしでしたが、魏は今まで通りの「脳筋突撃」では最早呉にも、蜀にも勝てなくなっていました。
一体どうして勝てなくなったのかわたしには解からなかった。
悔しい、と言いつつ、それでも合戦は楽しくて大好きだった。
どんなに負けても最後まで諦めなかったし、常に勝つつもりで戦っていたのでした。
たった一人に出来ることなんて高が知れているのに、加えてわたしは、自分に何が出来るのかすら、理解していませんでした。
知ろうともしていませんでした。
そんな状態で「常に勝つ気持ちで戦っていた」などとは、よくも言えたものだ。
ちょっと当時のわたしをぶん殴ってやりたい。
一節の頃から、合戦前には作戦会議が開かれ、合戦後には反省会が開かれていましたが、負け続けた二節のある時、座談会というものが開かれました。
そこではまず、部曲同士親睦を深めることから始まり、様々なことを皆で話し合いました。
目下の議題は「突撃連合」について。
わたしはその聞き慣れない戦闘スタイルについて「そんなものはいらない、今のままで戦おう」と、恥知らずにも発言していたりします。
今のままでは勝てないからどうにかしよう、という会議であるにも関わらず、お前はあほか、はいアホです。
この通りに無知蒙昧で、新しい変化を拒絶しようとしているわたしの姿は、魏の民にしてはおけぬ即刻首を切れ状態だったのです。
とにもかくにも、連合数が足りない。陣形をフルに活用している連合が、そしてお互いに強力しあう連合が。
今だったらそれがどれだけ絶望的状況なのか誰もが理解するところでありますが、その当時は、ほとんどの人が状況の深刻さに気付いてはいませんでした。
でも多くの人が「このままでは勝てない」と悟り、なんとかしよう、何かしようと様々の案を出し合っていたのでした。
そんな時、潰えていた夏侯淵之弓さんとの、合戦での合同が再び持ち上がりました。
新たに「兎陽」さんも加わったその新連合は、「人数を集めて色々試してみよう」という名目の元、制覇の時にご一緒するようになります。
これが後の「淵舞連合」となるのですが、ある日突然、ログインしたわたしになんの前振りもなく知らされた「連合組むことになったから」の言葉には、正直とまどいを隠せませんでした。
果たしてその成り行きを知らなかったのはわたしだけだったのか、それとも全くの独断であったのか、今となっては知る由もありません。
しかし、始まったものは、終わらせるわけにはいきません。生まれたものを殺すことなど出来るでしょうか。
加えて自分の意思らしい意思もなく、合戦を理解出来ていなかったわたしは、連合運営に全面協力することを決意したのです。
右も左も解からない。でもどうやら、祝福と神の護りが何よりも重要らしい。
それくらいしか、当時のわたしは知らなかったのです。
コンセプトが「色々試してみよう」だった「淵舞連合」は、当初盟主持ち回りで、それが決する前には危うくわたしが盟主を一任されるところであったのをここに記しておきます。
本当に、わたしがその時盟主にならなくてよかったと
今どれだけの人が胸を撫で下ろしているでしょうかw
>でもどうやら、祝福と神の護りが何よりも重要らしい。
これだけしか知らない人が盟主って……盟主って……!w
さて。
最初から問題だらけで波乱万丈の幕開けとなった淵舞連合。
辿る先にも数多の試練が待ちうけているわけですが、この連合に所属させて頂けたことが、わたしを大きく変えたのでした。

続きはまた次回。
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