こんにちは、わたしです。
ちょっとコピペを貼らせて頂きます。
三國志をあまり知らないけどやり始めた
よくわからないまま部曲に誘われて魏(曹操)に仕官
合戦は負け続けで、周りの雰囲気悪かった
ある日、合戦の味方は誰もいなかった
一人で出て行って数分で負けてきた
負け続けてたので、勝敗は気にならなかった
自分に何ができるのかなって考えることができるようになった
部曲抜けて、3アカで生産して、合戦前に安売りするようになった
気づいたら常連さんができて、いつも話をするようになった
銭荘前に集まる人達は、負けてても楽しめるようにいろいろ始めた
少しずつ人が集まり、他鯖からも人がくるようになった
初めて勝てたときは、夜遅くまでチャットで騒いだ
合戦場でのソロはしばらく続いた
敵の集まってる場所見つけて報告することにした
どんなことが知りたい?どんな風に言えば良い?
周りの人に聞きながら、ひたすらがんばった
すこしずつみんなが協力し合うようになって
気づけば負け知らずの国になった
わたしも連合に入れてもらってた
礼服まで取らせてもらった
なんとなく充足感えられたので、そのままいなくなることにした
ほんとに1人から始めたけど
最後にはいろんな人と友達になれたし
楽しいこともいっぱいあった
いろんなネトゲやったけど、廬山魏にいたときが一番楽しかったです
廬山許昌銭荘前のみんなありがとうでしたこ
これが
これが噂の
廬山魏の伝説の人……!
妖術たった一人で城を護ったという……!
http://sol-web.gamecity.ne.jp/rc/2d/sys/sol/war/warstat_21.swf?game=1+4+2+39+2ぱねえw九分間の戦闘……。想像を絶する。
そう言えば昔は、毎回激闘録を見ていたっけなあ。
公式のは小さいのしか見られなくて、未だにどうやったらこの大きいのに飛べるのか知らなかったりします。
飛び方をご存知の方や、この廬山魏の伝説の人についてもっとご存知の方、よろしければこの凡愚めに教えてやってください!
あーもー駄目ですね。
何がってね
そりゃ頭はずっと昔から手遅れなのですけれども
禁断症状です。
合戦したいです。
NPCクリックしてね、中に入って、たかたかっと走っていくと、入れて下さいって言う前に勧誘飛んできて、それが嬉しくて、よろしくお願いしますを連呼しながら、マクロセットをいじって、制覇戦の時なら露店して。
今日はあの人がいない、この人が来ない、二陣には間に合うかなー、あ、あの人が久し振りに来てくれた! なんて一人で盛り上がって。戦場チャ読んでニヤニヤしたり。
で、わたしは疾駆1がキーボードの数字の2に入っているのですよ。だからお急ぎ移動をするときは二番を押すのですね。
今でもちゃんと、指が勝手に動く。
定期的に六番タッチ。そこには索敵1が入っている。被らないように、満遍なく索敵が入るように立ち位置にも気を付けて。
体力減っている人をみつけたらどうにかマウスクリックでたげって三番。簡易回復が入っています。
わたしの方へ向かって逃げて来る敵がいたらすかさず一番。ここは気魂撃なのです。
それからバフもキチンとしなくてはね。七番は暇な時には何度でも押していたりします。詠唱ゼロの痛転気。
立ち止まっている間に、周りで索敵が輝いているのを確認してから八番。ここには気流飛散。
ゼロ番は滅多に押さなかったなあ。盾のくせに。
戦陣の盾がはいっているのです。結局いまだに使いどころがよくわからんw
突撃前にかけるときもあるし、踏ん張る時にかけるときもある。
まだまだ模索中だったな。
それから九番。これも使う機会があんまりなかった。
そこには氷の盾が入っていることが多かったのだけれど、終盤わたしはそこにぶちかましを入れて、詠唱止められないかなって思っていたのでした。
止められたためしねえけどなヽ( ´ー`)ノ
残っているのは五番ですね。
そう、わたしの、多くの盾の愛したあれ。
陣詠唱が終わったら、
できるだけ速く、
誰よりも速く、
塊めがけて、
あんちくしょうを目がけて、
勝利を目指して
そう、
罵倒です。
俺の罵倒をきけー。範囲せまいけどなー。
あああああああああああああ
合戦がしたい……
3on2まだかー
肥自体終わりそうだって? 終わってしまえ! どこか別のまともなところが3on引き継いでくれ!
でもまともなところなんて\(^o^)/
蔡樹(サイジュ) 字:衝乾(ショウケン)

【出自】
潁川の出と言い張るが北九州出身。言語形成期には関東在住だったので東武者という把握で大体あってる。
チャットの速さに定評があり、彼女と会話した誰もが「蔡さんチャット速え」と驚き呆れ戦慄するのであった。
本人もその気になって「チャット速度だけは誰にも負けない、チャット速度だけは」と豪語する。チャット以外はお察し、である。
【略歴】
建安1812年10月より三國志Onlineの世界へ踏み込む。曹操への狂信により魏国へ仕官。フレの契り(フレ登録)を交わした士健氏の推挙で夏侯淵部曲『復利伊奈協会』へ入部。
以降一度だけ二期POに呉国へ敵情視察へ行った他は魏民を終始貫いた。勿論脳筋。オッスオッス。
部曲合併により夏侯淵部曲『まったり淵奏会』にて再出発、三節終盤に曹操部曲『星漢燦爛』へ隠居するが、夏侯淵部曲『淵神』に入部し連盟『青龍』の一員として生涯を終えた。
最期に彼女は幾つかの言葉を残したが、その中の一つが以下である。
「仲間に恵まれた人生であった、わたしは幸せ者だ」
合戦では名も無き野良連合から部内連合、友好部曲同士連合を経、淵舞連合でそれぞれの陣形の意味と各々の重要性、個々の力を一点に集中させることの意味を学ぶ。
様々な連合を訪ね歩いた末、鬼神連合こそ己の戦の在り方! と悟り、最後まで鬼神連合の一員として戦っ……たつもりだがただのまっすぐに飛んで行って帰ってこない何かでしかなかったことは確定的に明らか。ジーク魏オン!
【生態】
『生贄』、『囮』の異名を経て、『ロリ盾』の称号を賜った真性変態。本人はその二つ名を気に入っている。他にもちっさいじゅとかひよこさいじゅとか呼ばれ、まんざらでもないらしい。
盾と丹ばかりやってきたせいかアタッカー職は悉く苦手。アタック系武器を持つと指が震える。でも、盾も丹もへたっぴ。
双や槍、うちわを持っている蔡樹に出会うと、あもりもの珍しさに天気が崩れたりするらしい。
合戦が何より大好きだが、PD、狩り、軍略、闘技、部曲戦とわりとなんでも大好きだった。しかし一番の好物は女の子である。神護の党員になれると泣いて喜ぶ。党首でも嬉しい。
医食50だが生産からは引退している。
終盤では自分のことを「人食い妖怪」と豪語し、誰かいなくなったら大概彼女に食われた後なのだった。ごちそうさま。
【功績】
AA「ヽ(゚∀゚Ξ゚∀゚)ノ」は彼女が生み出した。辞書登録するときは「あばば」で。「さいじゅ」じゃないぞ、「あばば」だぞ。
【汚点】
数え出したらきりがないが一つ。「蔡菌」なる未確認ウィルスの媒体ではないかと近年言われいる。
蔡菌感染者に表れる主な症状は「酷い誤変換」。その威力は町一つを消し飛ばすほどで、蔡菌のせいで逢坂が沈没したという報告が上がっている。
感染力も凶悪で一人発症すると同時多発的に発症者周囲の人間が蔡菌に犯された事例も確認されている。
蔡樹本人は蔡菌と無関係であることを主張し、また蔡菌の存在そのものを否定している。そもそも「蔡菌」自体が誤変換あると言うのである。
しかし一つ確実に言えることは、三國志Onlineが終わった今、蔡菌が猛威を奮うことはもうないであろう。
蔡殊(サイジュ) 
【出自】
潁川の出ではないが、北九州出身である。蔡樹と姉妹なのかというとそうではなく、では血の繋がりが無いのかというとそうでもない。
蔡樹は蔡殊のドッペルゲンガー的存在であり、言わば本来存在しないはずのなにがしかなのである。多分本人達もよく解かっていない。
だから可哀想なことに基本スペックも全部一緒。見た目がちょっぴり違うだけ。
【略歴】
恐らく建安1813年から魏に仕官している。蔡樹が自分のことで手いっぱいだった為彼女にまで出番が回ってこなかった。
当初近接系を蔡樹が、遠距離系を蔡殊が担う予定であったが、生産技能取得数無制限化により、蔡殊は名実共に倉庫及び露店キャラになってしまう。
これも恐らくだが1813年に「部曲戦用に」と銘打って自ら曹操部曲『星漢燦爛』を立ち上げるが、その実態は凡クレ氏と画策したキャバレートクラブであった。
しかしこの計画は、凡氏が消息を絶った為頓挫する。
後には隠居した蔡樹を迎え入れることにもなった。
【生態】
表に出られないことを恨んでいるようで、機会があればメインに成り変わろうとするが、設定からして「蔡樹の裏っていうかドッペルみたいなもん」なのでその野望が叶うことは無かった。
蔡樹の医食lvが50に達すると、ナツメ経験値がもったいないからと言って医食をやらされ、気付けば50に。なら次は木工だと言われ木工にも手を出すが、結局作ったことがあるのは徒党疾駆の札と回復波の札だけだった。あと、lv1の扇を少々。
後半ではlv40↓の局地戦で主に丹として大いに活躍する。勿論看板的な意味ではない。
最後は盾として活躍しようとしたが、想い果たせぬまま誰に見取られることもなくひっそりとその一生を終えた。
よく「さいたま」と呼ばれてキレていた。
杜穆(トボク) 
【出自】
河北の方の出身かもしれない。
名前も顔も全く違う点からして、蔡樹とは別人であると断言出来るかも知れない。
【略歴】
建安1815年5月に荊州の地を踏むが、余命二ヶ月の花嫁ならぬ余命二ヶ月の局地戦一陣専用であった。
蔡殊が部曲長を勤める曹操部曲『星漢燦爛』に入部し、せっせと医食生産に励む傍ら、蔡樹やその友人にPLをしてもらい弓以外の職を20カンストさせる。
何故弓を残したかといえば、うっかり何かの依頼を達成しなくてはいけなくなった時の経験値受け皿用である。弓不憫。
【生態】
局地戦一陣においては槍として大活躍を見せ、蔡樹も蔡殊もとったこともない順位で看板に載ったりするが、単純に人数が少ないせいであることを弁えており、結果を見ても目を丸くさせるだけであった。
しかし舎弟の鴻均に対しては非常に厳しく、どうやら彼女は鬱憤の全てを彼にぶつけていたようである。
局地戦も開催されなくなるとほとんどすることがなくなり、たまに長安で売れそうにない素材を所在無さげに売っている姿や、ナツメを乾している姿が目撃された。
誰に見取られることもなくひっそりとその生涯を終える。
名前が難しいと言われなかなか呼んでもらえなかった。
杜鴻均(トコウキン)
【出自】
多分妖怪か何か。渾沌だと言い張りたいのかも知れないが杜穆にいいように使われているのでその貫禄は無し。
行き倒れているところを拾われ下僕にされたのかも知れない。
【略歴】
建安1815年5月。杜穆の倉庫だけでは足りなくなった為に呼び出される。
パシリ、舎弟、不憫の権化。
その名「鴻均」はかの四凶が一、渾沌の別名、鴻均道人からとられており、渾沌にゆかりある曹操部曲『七窮』という部曲を自ら立ち上げ所属していた。一人部曲のさみしんぼである。
名前は立派なのに活躍する場は倉庫と生産とパシリだけだった。
【生態】
発端は桃衣仙女を杜穆が欲しがったこ。ただの倉庫番としてひっそりしていた彼は、lv上げを禁じられている杜穆の代わりに副官鍛錬クエストをこなし、彼女の要望に応え欲しがる服を全て獲得してきたのである。
そして杜穆の優しさなのか嫌がらせなのか、「貴様にも40装備を着せてやる」との一言により、至急生産lvを40にせよとの厳命が下った。
それに当たって選ばれたのはまたしても、医食。
五人も医食キャラがいてなんの意味があるのかという鴻均の当然の疑問或いは悲鳴は無視され、所持品数拡大の為水鏡クエもろくすっぽこなしていないのに無理やりPLでlv20まで上げさせられた。
不憫としか言いようがない。
無事に40装備を着ることは出来たようだが、彼の存在を知る者は少なく、他の二人よりもより一層ひっそりと最期を迎えた。
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