わたしが一秒でも在籍させて頂いたことのある部曲を思い出せるだけ書き出してみようとしたけれど、
紅白まで混ぜたらとんでもない数になると気付いて断念。
そこで特に在籍期間が長かった部曲さん、何度もお邪魔させて頂いた部曲さんを書き出してみる。
復利伊奈協会、夏侯淵之弓、まったり淵奏会、少数精鋭、星漢燦爛、淵神
気付いたこと→夏侯淵部曲と曹操部曲ばかり
2008年2月10日、夏侯淵部曲『復利伊奈協会』入部。
生まれて初めてギルドというものに所属した瞬間だった。
当時のわたしは「ギルド」という言葉すら知らない。
部曲長Mさんはとくに「みんなで何かしよう!」と持ち掛けて来る方ではなく、みんなで遊ぶことを提案するのはいつも決まってYさんだった。
合戦で野良連合を募集したりと活発に活動していたのはSさんで、だからわたしにとって部曲長とは、いわば「雑談スレのスレ立て主」のような存在であった。
例えば有名な某掲示板、大規模MMO板の三國志Online泰山スレ。
スレッドが1000になる前に、誰かが次スレを用意する。
スレ立て主はそのスレを生み出した人物であるが、以降そのスレの流れを決めたり誘導したりはしない。
そもそもが匿名であるという点はあるが、話題を提示したり騒いだりするのは個人個人である。
復利伊奈協会にしていえば、部曲長はMさんだけれど、みんなをひっぱっていたのはYさんやSさんであった。
Mさんはさほど存在感のある方ではなかったが、表立って活動しないMさんが部曲長だということで、なんとなく落ち着いた雰囲気、悪く言えば何もしない雰囲気が生まれていた。
そのことをYさんは「部曲崩壊に繋がる可能性もある」として極力みんなで何かをする姿勢を取り続けた。
端的に表現すれば、リーダー不在のソロ集団。
それは別に居心地の悪いものではなかった。
各々が好きな時に好きなことをし、みんなで遊ぼうという提案があれば、その気のある者は参加する。
部の方針や目的は無かったが、そこは寝る場所、食べる場所であり、帰ってくる場所だった。
わたしはMMO自体初めてで、部曲というもの、ギルドというものはこういうものだと思っていたのだった。
わたしが部曲に求めるものはだから、それで充足していた。
そもそもがMさんが「部曲」という「場」を提供して下さらなかったら、わたしはみんなに出会えなかった。
部曲長とはわたしにとって、場の提供者という存在なのだった。
程なく、対人というか部曲戦をもっとしたいという部曲員さんが退部していったり、正式が始まったことで人数低下。
最後こそ部曲戦が大好きになっていたわたしだが当時は存在すらほぼ知らぬ状態、また軍略にもほとんどいかないか、行ってもYさんに誘われた時程度だったわたしは、人数が減って何が困るのかと首を傾げるくらいに浅はかだった。
また、リーダー不在部曲というのが当たり前の意識であったことも手伝っただろう。自分は野良をしないくせに、PDなどで人数が足りないなら他の部曲の方や他国の方に声をかければいいじゃない、と思っていた。
部曲に対する思いいれのようなものは、始めのころからわたしには無かったのだった。
だから夏侯淵部曲『まったり』との合併が持ち上がった時も、悩むこともなく、そもそもが他人任せであった。
自分のことで手いっぱいだったので勧誘もしなかった。人数が増えすぎると一人一人と丁寧に付き合えなくなるのではないかという思いもあった。
そもそもが新人を勧誘してその面倒を看られるほど自分がこのゲームを理解してはいなかった。
勧誘も育成も自分が一定水準に達してからだ、と思っていた。
果たしてその水準とはどこだったのか。今でもそれは解からない。
合併した二つの部曲はその名を『まったり淵奏会』と変え新たな門出を迎えた。
部曲名はみんなで考えたが、わたしは最後まで『青洲兵』とかなんとかいう部曲名を推していた気がする。
まったり淵奏会の名はひょっとしたらYさんが考えたのかも知れない。確認しなかったのでもう永遠に解からないが。
部曲長は引き続きMさんが引き受け、相変わらず部曲長が「何かしよう!」という部風ではなかった。
記憶の中ではやはり、部曲で何かをやったというものがあまりない。
大体みんな基本ソロだった。それに不満はないし、満足していた。
どちらの部曲もコンセプトが「まったりする」ということだったのでそれもあるのかも知れない。
しかし今でも覚えている一言がある。
Fさんがわたしに言った「蔡樹さんがいたからまったり(漢字の方)は空中分解しなかった」という言葉。
部曲への思いが恐らく一番少なかった、小さかったであろうわたしへの身に余る言葉です。
はっきり言えば部曲自体のことはどうでもよかったけれど、同じ部曲名を頭の上に載せている友人達のことは大切に思っていました。
一体わたしが部曲の為に何かできていたのか、多分何もしていなくて、おんぶに抱っこで貰ってばかりだったことは確定的に明らかなのですが
そんなわたしは後年、まったり淵奏会を解散の危機に会わせるのです。
ほどなくして、部曲長Mさんが長期入院の為ログイン出来なくなり、元まったりの部曲長だったyさんが部曲長になった。
yさんも皆で何かしよう! というリーダーシップを発揮する人ではなかったが、部曲に関することには人一倍力を入れていた。
部曲砦への資金納入、客将招聘、合戦での部曲順位、部曲HP解説。
この時はまだ気付かなかったが、わたしとyさんでは部曲への思いの有り方に大きな差があったようだった。
部曲に対する思いの差は、部員のRさんとわたしの間でとくに激しかったことが後後解かるのだが、同様にこの時のわたしは気付いていない。
Rさんは兎に角よく勧誘をする方だった。
時間があれば水鏡村で勧誘をしてらした。
しかしRさんの言葉にわたしは常に納得出来ずにいた。
「10人声かけて1人入ればいい方」
これはまだ解かる。
「10人入って1人残ればいい方」
これはなんか違う。
「とにかく声かけまくる」
それもなんか違う。
最初が肝心なのは何事においても同様だと思う。
部曲を抜けた人はなぜぬけたのか?
つまらなかったからだろう。
つまらないと思わせたのは、既存の部曲員である。
その結果3onまでやめてしまったとしたら、わたし達は彼もしくは彼女の楽しかったかも知れない3onライフを未然で潰してしまったことになる。
勧誘した後の対応も納得できなかった。
勧誘するだけして後は放置、なのである。
わたしはPLには反対だが、そういう話ではない。
本当にほったらかしなのである。
話しかけるでもない、何かに誘うでもない。
入って楽しいはずがない。
「その人のやりたいようにやらせる」
聞こえはいいが、MMOに慣れている人だろうが初心者だろうが、勧誘されて入ったのにこの扱いでは楽しくないのが当たり前だろうと思った。
ようするに、勧誘するだけして放置なのである。
これは失礼極まりないし無責任にも程があると思った。
わたしは幾つか3on生活でドたまにきたことがあるが、その一つが彼とのことである。
Rさんは勧誘するだけすると、わたしにこういった。
「あとは頼んだ蔡さん」
ふざけんなとわたしは叫んだ。
チャットには「厭です」と打った気がする。
Rさんは「ははは、冗談だよ」と言っていたがその後も勧誘にたいするRさんの姿勢はとうとうわたしはいらいらするままだった。
面倒見るきがないなら勧誘するな。と、しかしそのときのわたしは言えなかった。
まったり淵奏会に入部し、3onつまらないと感じて退部した人がいたら、それはわたしのせいだったと言える。
こういう無責任な勧誘を放置していたのだから。
中には定着して下さった方もおられたし、勧誘はRさんの楽しみであったようだから全否定は出来ない。
でもわたしは心の中ではRさんの勧誘を全否定しているのだろう。
少数精鋭さんと出会ってわたしの部曲にたいするイメージはがらりとかわった。
目からうろこだった。
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