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ゆめのなかでゆめをみて ゆめのつづきをゆめにみる
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切れるカードの多さが強さだと思う


わたしはいじめられっこだった

超絶陰湿ないじめではなく
サバンナでの弱肉強食のような
それは、強く、乱暴な個体が、弱く、大人しい個体に暴力をふるうという原始的ないじめだ

わたしは大変に良識があって、礼儀正しく、優しい心の持ち主で、喧嘩などもしたことがなかったので
幼稚園、小学生時代はよく殴る蹴る罵詈雑言を浴びるという虐げを受けていた

気が弱く、優しいので、やり返すという発想が先ずなかったのだ

しかし中学生に進級した時「いや、やり返せ?」と自分で気が付いた
確かにわたしは弱く力もないが、教室には凶器になり得るものが沢山存在する

机や椅子を投げたっていいし、鉛筆で目玉を突いたり、カッターで斬りつけることだって出来る

そのことに気づいたわたしは、「いくらでもわたしをいじめてこい、やり返してやる」という気持ちを抱くようになった

すると不思議なもので、わたしを虐めるものはいなくなった

わたしは「成程、強い気持ちを持っている者は虐められないのだ」とこれを理解した

しかし、男子には相変わらずわたしの悪口を言う者どもがいた

この時わたしが切ったカードは、物理攻撃ではなく、精神攻撃だった

「お前を呪い殺してやる!」

と迫真の形相で怒鳴り散らした

すぐに相手は笑いながら「呪わないで」などと言ってきたが、無視をした

この時わたしは、自分が絶対に相手を呪い殺せるという確たる自信を持っていた
根拠なんてないのだ

でも一人で「こっくりさん」をやったり黒魔術の本を読んだりしている内に、呪いというのがどういうものか一端を理解した

「気の持ちよう」である

ならば、自分は確かにお前を呪って殺せるのだと「思わせればいい」んである

であれば、先ずは自分を信じることから始めるのだ
わたしには魔術的素養があり、本気を出せば人を呪いで殺すことが出来る

この時からわたしのカードに「相手を殺す」が加わった

「こいつむかつくけど、でもいつでも殺せるし」という気持ちが自分の中にあるのは大変に心強い

何かの折に「一度人を殺して仕舞うと、その後の人生で自分の選択しに常に『殺す』が加わって仕舞うのが嫌だ」という話を見かけたが

そう
殺して仕舞えば解決なのだ!

しかも「呪い」なので立証不可能!

わたしは罪に問われない

これがわたしの精神を更に強くしたのだろう
虐められることは完全になくなった

強さとは「切れるカードの多さ」である

今は特に誰かを殺さなきゃならないほど酷い環境ではないので他人の善意に感謝しながらひっそり大人しく生きています
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