こんにちは、わたしです。
京極好きなのにどすこいとかまだ読んでいない本がけっこうあります。
というわけで豆腐小僧双六道中ふりだし読了しますた。
2011年GWにアニメ映画化するらしいですが、これが3Dアニメなのだとかで。
とりま。
僕にはやっぱり、3Dにする意味が解からない。
って言ったら各方面からぶっ飛ばされそうですけれども。
別に飛び出されてもわずらわしいだけなんだが……。
よくわからんメガネとか掛けずに普通に観たいです。しちめんどうくさい。
2D版観ればいいだけですね!
それにしても。
予告映像見てどちらかというとポカンが鬼なった。
なるほど、それで「豆腐小僧」ではなく「豆富小僧」という表記なのかと納得。
京極の小説とは似ても似つかないzえんぜん別作品のようです。
京極の小説で感得した監督が、あ、別に洒落を言っているつもりはありません(キリッ
新たに作ったお話というところでしょうか。
原作がすっげ面白かっただけに狐につままれたような気がしましたが、これはこれでおもし ろ
いといいね!
わたしは豆腐が大好きです。
湯葉も大好きです。
豆乳も大好きです。
しかし一桁代の頃は豆乳が嫌いでした。なぜだか苦かった。
というわけでネタバレも含まれた感想みたいなうにゃうにゃ。
わたしは豆腐小僧なぞという妖怪については全く知りませんでした。これが初見。
ソフトカバーのイラストにいる豆腐小僧は作中の描写に忠実なようですが、単行本の豆腐小僧は違うようですね、着物の柄とか。
やはり、読み終わってから「ヤラレタ!」と思ってしまうのが京極。
どこかしらに仕掛けがあるんだよな……。
わたしは気付けないものばかりなのですが(/ω\)
さっくり読み飛ばしちゃうのはわたしくらいなのだろうか。
先ず最初にででんと述べているじゃあないのよさ、と。
それにしても、この物語、時間経過の遅いこと、遅いこと。
時間軸も空間軸もzえんぜん拡がらないのにこの読み応えですよヒャッホイ
ところでよみごたえの変換が黄泉応えでした。応えてもらっても、チョットコマル
妖怪入門に最適! みたいなことがアオリに書かれておりましたが、全て教科書とはかく有るべき! というほどの解かり安さ、面白さでした。
解かるって面白い!
わたしが理解しているのかどうかは甚だ疑問でもあるがな! わは!
いやはやこの本授業に使ったらどれだけ面白かろう。
物語の進度に併せて丁度良い速度で知識が得られ、理解のレベルが上がっていくとか……。
計算されているにもほどがある。
ぼくもこういうきょうかしょをつかってさんすうのべんきょうとかしたかったです。
それにしてもまあ場面といいますか、地の文が述べる説明にぴったりの妖怪がわきますことで。
京極と言えば妖怪、怪異、というイメージですが、実際本当に妖怪が主人公なお話を読んだのは、わたしが「豆腐」が初めてでした。
妖怪が喋るような作品が他にもあるのかも知れませんが、わたしの読んだ限りでは、京極作品の中で妖怪達が主格を持っていたことはないので新鮮でした。珍しいと思った。
相も変わらず3onを懐かしむ日々を送っているわたしは、
今あいもかわらずの変換が愛も変わらずになったお。
変わらず愛すよ! 早く3on2を(ry
で、そんなわたしはぴゅうさんの3on回想記を毎日楽しみに読ませて頂いております(´∀`*)
フォオオオオオオとか叫んだりしながら該当時期のログを引っ張り出して読み漁ったり気付いたら夜が明けていたりします(キリッ
わたくしはぴゅうさんブログを応援します!
そして全ての元3onユーザーの皆さんのブログを応援しております!
だからみんなもっと回想とか書くといいと思うですよ!
ヽ(゚∀゚Ξ゚∀゚)ノ
で、「臥薪嘗胆」という言葉に聞き覚えがありすぎてあひゃあっとなりました。
いえ、勿論有名な言葉ですからそれは勿論聞き覚えがあって当然なのですが、わたしはかの「臥薪嘗胆だ……」の言葉を、確かにこの目で聞いた気がするのです。
ブログを読ませて頂いた途端に、忘れていた光景がふっと脳裏に蘇りました。
ああ、確かに許昌の宮廷で、あの時わたしは東側の太鼓が視界に入っていて……それは確か白チャで、部チャでも話題にした気がする。
しかし、そこまで想起してはた、と我に返りました。
それは本当にわたしの記憶だろうか。
今、その文字の並びを眼前にして、記憶を遡って捏造した妄想の類ではないか?
歳なのか、数年前からこういったことがよくよく起きます。
例えば誰かが話したお話、大抵昔の話を、自分も体験したように感じる。
例えばついさきごろみた情景が、夢だったのか現だったのか解からない。
せいしんかとかにかかったほうがよさそうな気もしますが、これこそ豆腐でも出てきた、「遡って歴史を捏造する」やつの仲間ではないでしょうか!
いや全然違うのですけれど。
概念の共通認識としての妖怪とわたしの妄想癖が同じであろうはずがない。
しかし、そうか、こうやって人は後づけで、なかったものをあったことにし、あったことにしたことに無自覚なまま日常生活を続けていくのか、とか思って興奮したのでした。まる。
例えば漢字が生み出されたその時に、天から大量のなにかが降って来たと言う伝説があります。
なにかってなんだよ、と、自分でもつっこみたくなりますはい忘れましたごめんなさい忘れたんです!
兎とか食べ物とかだった気がする(´д`;)
筆の材料に使うから、その動物が絶滅するだろうということ、そして文字を生み出し情報を操れるようになった人間は、争いが絶えることなくなるだろう、とか云々。
で、神様が哀れんでいっぱいくれたんだ、的な皮肉といいますか寓意を込めた事象なのですが、勿論そんなことは現実には起きません。
後々漢字について研究する人々が、現状を既に当時の人々といいますか神が予知していた的お話を創って、漢字に神秘性を持たせる為だとか、
あ、ボロが出そうなので後はしょりますね。
まあ、そういうわけで、これが遡って歴史が生まれるってえことか、と、一人でにやにやうふうふしていたわけです。
豆腐小僧は形而下のものごとや、人間のしくみ、人間が生きている世間というもののしくみについて勉強するのにとても解かりやすく丁寧な書物だと思います。
ついでにもう一つどうでもいい話をしますと、世の中はコトとモノで成り立っているとはよく聞く言葉ですね。
でもわたしは、世の中は全部コトなんだと思います。
例えばこのキーボード、これは固体ですからモノなのでしょうけれど、でも、プラスチックだったり、なんか突起していたりへこんでいたりカタカタ音がでたり中で高度の電子回路がうにゃうにゃ
そういうコトが集まっている、野暮な言い方をしませば密度の濃いコト、であって、解かり安いからモノと捉えているんだろうなあ、と。
更に言えば、この「わたし」というのも、モノという固体ではなく、コトという事象、概念なのだなと思います。
事象や概念はとても面白いものですね。
結局わたしが「臥薪嘗胆だ」のお言葉をリアルタイムで目にしたのかどうかは未詳のままです。
シラベロヨ!