まだまだ続くよ! ネウロ談義!
いやー 何回読み直しても面白いわー
しかし片目が見えなくなっているせいで裏表紙カバーの3Dイラストが見えねえwwwwwwwwwwwwww
頑張ったら見えるかもしれないけどとにかく見えない……。
六年前はちゃんと見えてたのになあと思うとやっぱり切なくなりますね。
さよならわたしの右目。
お陰様でまあいいかと放っておいたのが、もうさっさと移植したい気持ちでいっぱいおっぱいです。
だれかわたしに健康な角膜下さい。
さて。
22巻はまだ届きません。のですげえ萌えるところがまだ読めていないわけですが……いえ、ネウロはどこを読んでも萌え滾るのですがっ
因みに燃えるも萌えるも原初の意味はおんあじです。
ネウロ(魔人)って意外に精神年齢は幼いのかも。ヤコちゃんと同じぐらいかもしれない。
そもそも魔界では対人感情とかそんなもの培う必要もないからいらないし、ネウロは頭がいいからそういうところ磨かなくてもなんでもソツなくこなせちゃうのです。
だから子供みたいに無理な我儘は言わないし、出来ることしかやらない、やらせれば出来ることは相手の承諾なんか待たずにどんどんやらせる。
でも、だから
自分からヤコたんにごめんなさいなんて言えないし、戻ってきてとも言えない。
そこでヤコちゃんは、それが解っていたのか、学んだのか、それとも直観だったのか、
自分が折れるというか、心を近付けるなら自分からいかないと変わらないということを知っていた。
それが軽いビンタに繋がるのかな、と。
もし人間同士だったら、ヤコには「出会わなければよかったなんていってごめん」ってネウロに言って欲しかったし、ネウロには「戻ってきてくれて有難う」って言ってほしかった。
でもあの二人は、そんじょそこらのかっぽるなどではないのです。
ネウロとヤコなのです。
だから、読者としてはもっとこう 会話が欲しいところではありましたが あれだけで全て心が通じているんだろうなあ。と、改めて思いました。
読んでると、じわじわとですが、当時のことを思い出します。
そう言えば、ヤコを励ますために脱獄してきたアヤさんの目がサイだって大騒ぎしてたなあ とか。
今読み返してもzえんぜん気づかなかった>目がサイ ので、やっぱり旬って大事ですよね。
週間わたしのおにいちゃんを購読していた(違 あの子の話、動物達が拘束されているのが大きくかかれているコマが本誌ではあったのですが
単行本では書き換えられていた。そういうのにも気付けなかったなあ。
って読んでなかったのだから(単行本)当然ですがw
有難いのは、今なお閉鎖なさらずに作品を公開して下さっている沢山のネウロサイトさんの存在です(´∀`*)
サイト主様達の感想や漫画、イラストを見ることで、当時を追体験して楽しんでいます。
自分もこんな妄想したなあ、とか、やっぱり同じこと思ってたんだなあ、とか。
今更気付いたけれど、ネウロって「人間賛歌」の物語なんですよね。
人間は、誰でも無限の可能性を持っている。尽きることのない悪意もある。
人間は進化し続けることが出来る、誰かと出会うことによって。
出会いは奇跡。
この世界に生まれて、生きていることがこんなにも嬉しいことなんだ、とそうネウロ(本)は教えてくれるのです。
あと、今更知ったのが、ネウロの誕生日のことwww
そうかそうだったのか……w
ネウロがヤコと出会ったのは、ただの偶然だとわたしは思います。
本当に、偶然だった、ネウロが選んだわけではない、でも選んでいた。
そこへ出たのはネウロだから。そこにいたのはヤコだから。
そんな奇跡がどこにだって転がっている。
偶然出会えた二人は、どんどん成長していきました。
もしもネウロに出会えなかったら、ヤコはお父さんの事件を乗り越えられなかったかも知れない。
人並み外れた観察眼も、最初から持っていたものではなく、ネウロと過ごす内に磨かれたものだと思います。
実際初期の方はそこまで観察眼があるように描かれていませんし、犯人への興味も通常誰にでもある野次馬程度です。
それがあそこまで進化したのは、成長したから。
ヤコだから、ではありませんが、ヤコだから、磨かれた能力なのです。
誰でもヤコと同じように成長することは出来るのです。その可能性があるのです。
でも、ヤコは、ヤコだから、自ら成長しようとした、成長したのです。
誰でも出来ることだけれど、誰もが出来ることではない。それが人間の可能性。
ネウロも、ヤコに出会えなければお腹すかせたまま死んでいたかも知れないw
最初はただ道具として使っていた、道具としてそれなりに大事にはしていたけれど、興味なんて大してなかったのを、興味を持って接するようになったから、ヤコが成長して、ネウロにとっての大事な人になった。
もしもネウロがヤコに、人間に興味を抱かなければ、ヤコは早々にネウロの元を離れ、ネウロも別の奴隷人形を探していたかも知れません。
本当に偶然、幸運に、ネウロとヤコの相性はぴたりと合った。
再三申しますが、その可能性は誰にでもあった、でも、誰でも出来ることではない。
出会わなければ良かった。
それは 誰だって思うことなのじゃないでしょうか。
わたしも、何度「3onなんかやんなきゃ良かった」と思ったか解りません。
出会わなければ悲しい思いなんてすることもなかった。
それはそうだけれど、その言葉に
ネウロはどれだけ悲しんだでしょう。
彼の悲しみは、怒りとして現れました。
彼はきっと悲しみの理由にただ単純な「ヤコに自分と出会ったことを否定された」ってことが含まれているのに気付いてはいないだろうな! とこれは妄想ですがw
ネウロにも死の痛みは理解出来ていたようです。
ですが、誰かが死んで悲しいから、失って辛いからといって、立ち止まっていては何も変わらないのです。
泣きわめいて死人が生き返るならいくらでもしましょうが、そんな風に世界は出来ていません。
それどころか、シックスの脅威は目前。
死んだ人の為にも、生きている自分達が彼を止めねばならないのです。それが生きている自分達のするべきこと。
それが解っているから、ネウロはくよくよ悩んだり悲しんだりはしないのです。
でも、人間は違います。
ちょっと考えれば導き出せるそれらの答え、でも、悲しみは、思考を破壊してしまいます。
悲しいとき、辛い時、人間は、立ち止まって膝を抱えることが必要なのです。
そうやって少し立ち止まって、それから壁をよじ登るのが人間です。
魔人にはそれが解らなかったでしょうし、ヤコに自分のようにふるまえと要求するのもちょっと厳しいです。
それにヤコたんは16歳の高校生でまだ子供なんです、子供なんです!
大人にだって出来ないことを要求するネウロ! 厳し過ぎるわ! でもその厳しさがヤコたんをこんなにも成長させてるんですよね。
けれど、かつてない様子のヤコのことが気にかかって、アヤさんに「ねえねえ人間の女の子ってどういうこと考えてんの?」と聞きに行くあたりネウロめっちゃ成長してるかわええええええええええええええええ
でもここで 歩みを合わせたのはネウロじゃなくてヤコなんですよね。ヤコが追いついた。
まあ 人間が踏むステップをちゃんと踏んで追いついてるんですけれど>ヤコたん
へこんで、はげまされて、決意して。
ネウロのビンタにはどんな気持ちがこもっていたんだろうなあ。「俺は今からお前たちを殴る」かな?
安心と、信頼と、よくも出ていきやがったな! っていう鬱憤と、
読者には解らないかもしれないけれど、ヤコちゃんはあのビンタで色んなことを読み取ったんだろうなあ。
だからこその瞬間通常営業ですよ!
きっとネウロは、アヤさんの歌をきいて「人間わかんねーよ」って言いつつも、ちょっぴり解ったんでしょうね。
意地になって吾代さんいじめてみたり、ヤコたんなんていなかったみたいにふるまってみても、自分で自分が、ヤコじゃなきゃ駄目だって解っていたんだろうなあ。
そういう矛盾した気持ちは魔人は抱かないだろうなあ。
でも抱いちゃったから、きっと人間のことが少し解ったんだと思う。
そしてラストへ向けてのあの急激なデレでございますよ。
あーもー早く22巻読みたいーーーーーーーーーーーー
ネウヤコって、どっちも保護者なんですよね。
お互いがお互いの面倒を見ている。
ここまで来いよってネウロが引っ張って、ネウロに足りないところをヤコが補って、恋愛が挟まる隙間どこにもないまま理想の人間関係に到達しちゃってる。将に夫婦。
でも恋してるところも観てみたいんだよーーーーーそこで同人サイト様の出番です。
ってわけでほくほくしながら巡ってます。
いやー楽しいですなあ(´ω`*)ほくほく
そんあわけでもう幾らでもネウロについて語れちゃうのでした。
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