shine
裸足で走る君の背中と
青空の色 広がる海果てなく
smile
幸せ運ぶ瞬間の単純さを
笑いながら見過ごす午後に願う
いくつもの涙をこらえて
めまいする孤独を抱えて
噛み締めた夜の長さにもやさしい
何かをみつけたい
live
‘おと’になる‘うた’になる
風に触れた心模様
乾いた砂地に波音届けばstep by step
live
赤になる 黒になる
君の色に好きに染めて
世界は思いのままに見せ方変えてゆく
slide
景色がとまる 行き場のなさに空を仰ぐ
もうちょっと光届け
予期できない恋におちたいな
確かめたい退屈のむこう
まだ知らない明日があることを
君が教えてくれた
live
朝になる 夜になる
時をつなぐ流れの中
想いが響きあうように繋がると い・い・な
live
西へ行く 北へ行く
自由にゆける心地よさを
体の真ん中で感じた
夏が遠ざかる
回想が行く手を照らして
僕らずっと歩めるように
人影まばらな夕暮れ
寄り添ったみたい
あざやかな気持ち
live
‘おと’になる‘うた’になる
風に触れた 心模様
乾いた砂地に波音届けばstep by step
live
赤になる 黒になる
君の色に 好きに染めて
世界は思いのままに見せ方変えてゆく
次の夏へゆこうとても明るくて前向きな歌詞、メロディーの歌です。
でもなぜか、初めて聴いた時から無性に悲しくて、同時に幸せでありつつ不安で尚且つほっとしていながら声を上げて思い切り泣きたくなりました。
それは言葉にすると逃げていき、言葉にすると違うものになってしまう難しいことなのですが、例えば某京極夏彦の小説の如き分厚い物語を読了した瞬間見えた「何か」が、
確かにその瞬間は自分のものだったのにふとした瞬間無くなっている、という感じ。
それはいつも常に“解っていること”で、解っているがゆえに形而下にやって来ないし、形而下になった瞬間それは別の何かになってしまう。
でも、その読了した瞬間だけは、純然たる姿のままで認識することが出来る。
物理的に言うと、自分の脳みそを自分で観ている状態、と表現するのが近いかも。
わたしはこの歌が、こんなに泣きたいような笑いたいような素敵な気持ちにさせる理由を知っているし解っているが、それを言葉で言うことは出来ないし、多分誰かと共有することも出来ない。
物凄い野暮になってしまってもそれをやろうとしたら、
生と死は同じもので、喜びと絶望は同じもので、わたしとあなたは同じものだ、ということだ、とこの歌を聴いて、それを意識することも認識することもなく解っているということを解っていられる、そんな感じ。
単純に夏のせいかも知れない。
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