「ボーはおそれている」
は
監督が名言しているそうなのだが
「ユダヤ教的ロードオブザリング」
アリアスターはヘレディタリー、ミッドサマー、ボーはおそれている
で、
ユダヤ教を捨てれば幸せになれるか?
ユダヤ教の代わりに別の宗教に入れば幸せになれるか?
ユダヤ教の中で幸せになれるか?
を実験しているそうだ
ボーはおそれている
を観たわたしの感想は
「家族ってクソわよねー!!! オファックですわ!!!」
という絞り出すような強烈な執念を感じる
母親への異常なまでの執着と憎悪
そして「性行為」と「男性が抱く性欲」に対するこの上もないほどの嫌悪と絶望
を感じたよ
キリスト教でもユダヤ教でもセックスは「悪いこと」として刷り込まれるんだよね
アリアスター自身が抱いているかは別として
ボーはおそれている
では「とにかく男性の性欲が嫌だ、気持ち悪い、決別したい、失くしたい」「性行為が気持ち悪い、忌まわしい、消滅させたい」、「男性器が気持ち悪い」を感じた
先ず「家族ってクソわよねー! オファックですわ!」を感じ、「母親への一言では言い尽くせない執着」を感じ、辿り着いた先は「そもそもセックスすんなクソが!!!!」という怒り
お? 反出生主義か?
これはアリアスターがそれを抱いているという意味ではない
作家は家族仲が良くても「悍ましいまでの家族への憎悪」を描き出せるし
逆に家族が破綻していても「幸せで最高な家族のロールモデル」を描き出せる
それはそれとしてアリアスターが「ユダヤ教的世界認知の中での幸せとは何か」を思考実験しているのは本人がそう言うてるんだからそうなのである
この三作は監督の実験場だ
で
それを念頭に置いて
「ボーはおそれている」
はなんだったのか?
どこからどこまでが現実で、どこからどこまでが妄想なのか?
いろんな人の考察を見たり読んだりしながらわたしもわたしなりに考えてみるよ
大分影響されているとも言う
①ボーは精神病ではなく、全てが母親の仕込みである
この解釈には反対派である
どう考えても「めっちゃ金持ちが一人息子の為にトゥルーマンショウめいた演劇広場を長年成立させ続ける」方が無理筋
オッカムの剃刀だ
時系列が前後するが、ボーと母モナのおかしい所を挙げてみよう
・出産時のトラブル
映画は赤ん坊の出産が、恐らく赤ん坊目線で描かれるところから始まる
赤ん坊は既に周囲の音を認識出来るようで
出産した母親と思われる女性のヒステリックな声が響く
どうやら出産に立ち会った医療者が
「赤ん坊を落っことした」
「赤ちゃんが泣いていない」
「医療者が赤ちゃんを叩いている」
らしい
映像が「赤ちゃん目線」だとすると、赤ちゃんは落とされたような描写はない
しかし真っ暗な所から明るい所へ場面が切り替わった時、鳴き声が聞こえず
シーンの切り替わりと同時に産声が上がるので
生まれてきた赤ちゃんが泣いていなかったのは事実で
泣かせる為にお尻を叩く処置をしたのは真実なのだろうと思われる
そして母親は、赤ちゃんが泣いていないことを認識し、それは死産の可能性が高いことを知っている
ひょっとしたら赤ちゃんが泣かないのを自分のせいだ、自分の欠陥だ、自部は欠陥人間だ、と思い込んでしまう母親もいるかも知れない
モナはそういうタイプだったかも知れない
そもそもモナが精神を病んでいる可能性が高い
モナは赤ちゃんが泣かないのは医療者が「自分の赤ちゃんを落としたからだ」と思い込む
実際は誰も赤ちゃんを落としていない
赤ちゃんがワンチャン死にかねなかったので、モナは病的なまでにボーに対して過保護になっている、という描写なのかも知れない
そして、奇妙なボーの父親の描かれ方
ひょっとしたらモナの妊娠は「望まぬ妊娠」だったのかも知れない
「望まぬ妊娠」をするに至った現実を認めたくなくて、自分を護る為にモナはそれを「とても素晴らしい行為だった」とし
同時に加害者である男を「脳内で殺す」ことで報復したのではないか
臨まぬ妊娠であっても様々な理由例えば「赤ちゃんに罪はない」などから、出産を選ぶ女性は実際いる
そして宗教上の理由が絡んでいるかも知れない
キリスト教では堕胎は悪なので、ユダヤ教もそうかも知れない
つまりモナにとって息子は忌まわしい悪魔でもあり、愛しい存在でもあった
これがボーに対する奇妙な接し方の由来ではないだろうか
さて
生年からしてもボーは「中年」なのだが、役者のせいでどう見ても「後期高齢者」なのである
しかしボーは「後期高齢者」になる程人生経験を積んでいる「立派な大人」には見えない
何歳だろうが精神疾患は抱えたってしょうがないものだが
そういう問題ではなく
作品の中でボーはずっと「中年男性」として扱われている
が
絵面はどうみても「もういつ死んでもおかしくないおじいちゃんが若者扱いされている」なので滅茶苦茶気持ち悪いんである
母親モナと同じフレームに映っている時とかめちゃくちゃ気持ち悪い
お前どう見てもママの方が年下やんけ!!! となる
これは、例え役者さんの年齢が後期高齢者であろうが、今の時代メイクでもデジタル処理でもなんでもして「映画に相応しい年齢」に修正出来る
演じた役者、ホアキン・フェニックスは25年時点で50歳
全然後期高齢者ではない
ウスラハゲてもいないし
ぐぐって見たら全然イケオジな年齢だ
わたしは未だ観ていないのだがジョーカーのジョーカーを演じた役者さんらしい
つまり
ボーがあんなに老けて見えるのは「意図的」なものであり
しかし設定された年齢も正しく「中年」であり
だからこの実際年齢と外見の乖離は意図されたものである
何を目的にしているのかは解らないが、とにかく気持ち悪さを覚えさせるには充分である
後期高齢者が、その言動がまるで12歳の少年のものなのも
自分よりぜってー年下だろうという既婚女性が「自分の養子にしよう」としているのも本当に気持ちが悪い
後期高齢者にいたるまで童貞であるということもきっと何か意味があるのだろう
森の中で演劇を見て、その主人公にボーが成り代わって展開する物語も気持ち悪い
後期高齢者が自分と相当に年齢のかけ離れた女性と恋をして子供をもうけているのが気持ち悪い
50歳のおじさんと30歳の女性が結婚してセックスして子供をつくるってだけでも気持ち悪いのに
後期高齢者が20代くらいの年齢認識で、20代くらいの女性と家庭を築くのが当たり前のように描かれているのが気持ち悪い
そしてもうこれ以上年齢は重ねられねえだろうというくらい始めから老人だったのに
更に何重年も年を重ねるのが気持ち悪い
メイクで更に老けさせ、ひげもじゃになって老化を表現されているのだが
そもそもおめーじじいだったろうが、となる
もう生殖行動を行わない、ミッドサマーのホルガ村風にいうなら冬の時代になって、72歳なのでアッテストゥパンです相当の男性が
生殖行動を行って家庭を気付いている歪さが気持ち悪い
40代以降は子造りしないでくれ気持ち悪いから
コミュニケーションとしてパートナーとセックスするのに年齢での嫌悪は全くないが
40代以降の男性が女性に子供を孕ませ産ませるというのが本当に気持ち悪くて無理
相手も同年代ならまあ……とも思えるが、20代とかの若い女性にそれをするのは本当に無理
法律で規制して欲しい
全然、ボーを演じるホアキン氏は30代とかの見た目で演じることも出来ただろうに
どうみても72歳以降ですな見た目で映画を撮ったのは絶対に嫌悪感と不自然さを抱かせる為だと思う
さて
ボーは、母から「父親は心雑音があり、テクノブレイクで死んだ。おじいさんもそうやって死んだ」
と聞かされているので(外人の年齢は解んないけどなんとなく12歳くらい……?)性行為に抵抗と恐怖心がある
けど
普通に性欲は持っているので
性欲に対する恐怖と嫌悪があったと思う
しかしそう頻繁に性欲を抱くことはなく、あの様子だとマスカキもしたことがないのではないか
なぜなら射精したら死ぬ可能性が高いから
怖くて出来ないと思う
とすると画面外だが
ボーは同年代の男の子達と馴染めなかったのではないかと思う
男児のグループの会話なんて想像も出来ないんだが
性欲由来の話をボーは避けただろう
それはそれとして、ボー曰く「脅されて学友に自分の母親の下着を提供している」
ボーはどうやら自閉症などのなんらかの疾患があったようだ
モナはそれを「医療者が生まれた時にボーを落としたからだ」としている
それは子供の先天的な疾患に対して「自分のせいだ」と思ってしまっており
或いは「妊娠させた相手のせいだ」と思ってしまっており
それに対して罪悪感を抱かない為に「医療者のせい」にすることで己の心を護っているのだと思う
ボーはおそれている、は大変ユダヤ宗教観的な映画なので、わたしはユダヤ教についてはミリシラなのだが
アリアスター曰く「母は絶対」というからには
まず間違いなく「母親は我が子を愛さなければならない」という強い同調圧力があるだろう
若しもわたしの勝手な推測の通りボーが望まない妊娠の結果の子で
つまりモナが性暴力の被害者であるなら
モナがボーを憎むのは仕方のないことだし
愛情を注ぐことに苦痛を感じるのも当然だ
そしてボーはなんらかの疾患を抱えているが
「他人の心情を察することに長けている」描写が成されてもいる
ボーは物心ついた時には既に母の相反する葛藤
「愛さねばならないという責任感と苦痛」
「実際本当に愛しているという真実」
「同時に殺したい程憎んでいる」
「そんな自分に絶望している母の気持ち」
「だからこそ様々な慈善事業に手を出し、『家族』が健やかでいられるような社会貢献をしている」
のだと理解していたのではないか
ボーは母が自分の父である男性を憎んでいることを理解しており
だから母と喧嘩になった時「パパはどこ?」ということで母にストレスを与えられることを知っていたのではないだろうか
モナにとって「パパ」は思い出したくない憎悪の対象であり
しかし「ボー」という結果は愛さねばならない責任があり
どうにか折り合いをつける為に「テクノブレイクで死んだ」ことにしたのではないか、とは先述の通りである
母親が不安定なので子供が不安定に育つのは仕方がない
母親は明らかに過干渉であり
それは「ボーが死産だった可能性があった」ことも大きく関係しているだろう
また、ボーの先天的な疾患にも由来するだろう
クルーズでの夜、一緒のベッドで寝ていることを指して「モナはボーに恋人の役も求めている」という意見もみたが
わたしはこのシーンに「こんなに大きくなっても赤ちゃんのように接している、この成長にあわせて接し方を成長させられない親」の姿として受け取ったので、この説には反対だ
何せモナはどう見ても72歳くらいの息子に対して「ベイビー」と呼んでいる
そりゃ子供は親にとっては幾つになっても子供というのはそうなのだが
それはそれとして
中年になっても「ベイビー」扱いはおかしい
中年にもなれば自立した大人として扱うだろう
遠く離れて暮らす息子が久し振りに帰ってくるのが嬉しい
という感情は何もおかしくはないが
中年になってまでベイビー扱いは流石におかしい
そしていつまでたっても赤ちゃん扱いをする母親によって、ボーは中年、見た目は72歳の老人にもなっても、言動が12歳の少年のようで
「鍵を盗まれた」
という母親とは全く関係のない問題について「一緒に解決しよう」と母親を巻き込む
これは身に覚えがあるのですごーくよくわかる
自分の問題を全く無関係の他人に被せて「あなたも当事者ですよ」と巻き込み、自分の心理的負担、可能ならば物理的な負担も軽減させる子供じみたやり方
駄々である
上手くすれば精神的負担を軽減して自力で問題を解決することが出来るし
最低なやり方としては問題を相手に丸投げして自分は何もせず解決してもらうことが出来る
この「鍵を盗まれた」「話を聞いて」「一緒に問題を解決しよう」という奇妙なボーの発言は、相手、母親に依存しており、自分は全く自立出来ていないことが描写されているのだと受け取った
そして、中年にもなって、72歳にもなって、全く自立出来ておらず、何をするにも一々母親の裁可を伺う精神性になって仕舞ったのは、母親の過干渉と「いつまでも赤ちゃん扱い」の結果である
ボーとモナは悪い相互依存をして仕舞っているのだ
そして奇妙なのは
モナは大企業の代社長で大富豪なのに
ジジイになっても「ベイビー」呼びで溺愛する息子をなぜ遠く離れた場所に住まわせているのかという点である
観た感じボーは仕事もしていない
ニートである
生活費は母親が出しているのだろう
とすると、カードの決済が出来なくなったのは、ボーが帰宅を渋っていると受け取ったモナによる嫌がらせかも知れない
ジジイになってまでママがいないと何もできないように育てられて仕舞ったボーのクレジットカードはママに管理されていると考える方が自然だ
溺愛する息子ならずっと同居してあの豪邸に住み、良い服を着せ、メイド達に、或いはモナ自身がその身だしなみを整えてやればいいのに
ボーは終わりすぎている治安の悪い街の終わってる普請の狭いアパートに住んでいる
これは
ひょっとしたら「愛さねばという義務感から無理して愛している息子」「実際本当に愛している」「でも憎くて殺したい」ボーを
近くに置き続けたら本当に殺して仕舞いそうだから
或いはモナも共依存を自覚し「まずい」と感じたので敢えて引き離して暮らしているのかも知れない
そしてボーはモナが過干渉であり、自分の人生が全て母親の掌の上であることを自覚しており
そこから逃げ出したいと考えているのではないだろうか
映画開始の提供画面でMW社が登場するので
「全てMW社(モナ)の仕込みでトゥルーマンショーなんですよ」とする見方もあるが
これは、ボーが「自分の人生は母親に支配され、監視されている」という認識(実際ほとんどそう)によって生み出さ絵手いる妄想であるとわたしは捉える
実際ボーの住む町はMW社が運営している精神疾患者の社会復帰の為の町なのかも知れないが
そうとするより
母親の事業がそういう分野にも及んでいると知っているボーが
自分の住む町を「精神疾患者の社会復帰の為の町」だと妄想している
とするほうが現実的だとわたしは考える
そしてボーの住む町はボーの主観で捉えられ、映像化され視聴者にお届けされているので
実際はあんなに終わってはいない
オートロックのあるアパートなので実際は描かれているよりずっと綺麗なアパートで
街も綺麗で
浮浪者はいてもしょっちゅう死体が転がっているような治安ではないのだろう
それらは全部ボーの妄想だ
ボーは「恐れている」ので、「こうだったら怖いな」という思いつきの全てが妄想として彼の目には認識されて仕舞っているのである
毒グモについてはユダヤ教では「罠にはめる」存在であるらしい
実際には毒グモなんていないのだろう
そしてボーがユダヤ教徒であるかどうかは解らないが
アリアスターはユダヤ教徒であり
この作品が「ユダヤ教徒のロードオブザリング」だと語っている
色々なものがユダヤ教的価値観で描かれているということだ
さて
ボーは精神疾患を抱えており、週一で通院しているようだ
その道すがら池でアヒルに餌をやり
精神科医の自宅の水槽の魚に餌をやっているらしい
診察室へ入るとボーは先ず携帯電話をテーブルへ置く
この描写に対して「ボーは母親からの接触を恐れており、常に電話がかかってくることを恐れている」「だから医者は電話をそんなに気にしないこと」「テーブルの上においておくこと」を提案しているのではないか、という解釈があり、成程と思った
なので、診察の途中でかかってくる電話は妄想、メッセージも妄想である可能性が高い
そして医者と交わされた会話は「実際のものとは異なっている」可能性も高い
ボーは母親との関係が自分の精神疾患の根底であると考えており
医者に「母親を殺したいと考えることはあるか」と問われ「そう考えることはある」と答えた可能性が高い
そしてボーは後になって「母親に死んで欲しいと思っている自分」を恐れたのだろう
その結果が「母の死」である
この「母の死」が現実なのか妄想なのかモナの偽造なのかは解らない
どこからどこまでがボーの妄想なのか正直解らん
だが
屋根裏に双子がいるというのは妄想だろう
森の演劇で「君のお父さんを世話している」と話しかけてきた男性がおり
その父親が例えば屋根裏で世話されているなら
双子の兄弟が閉じ込められたままでいるのに、ジジイになるまで放置されて、服も閉じ込められた日のままというのはおかしい
父親が屋根裏部屋で世話をされているなら双子だって世話されているだろう
服だって新しいものを着せられるだろうしヒゲだって剃ってもらっているだろう
屋根裏部屋に閉じ込められる自分を見ている自分
というのは離人症のようなものだろう
実際にボーは屋根裏部屋に閉じ込められるお仕置きを受けたが
勿論ある程度の時間で外に出されているわけだ
息子を「愛さねばらなないという責任で愛し続け」「中年になってもベイビー扱いをし」「干渉の激しい」母親が、双子の片方だけを屋根裏に監禁するとは考えにくい
そして
森で話しかけてくる男性が現実なのだとするなら
ボーの父親は精神疾患あるいはなんらかの障害者で
モナはその性被害にあったのかも知れない
障害者無罪理論でボーの父親は施設でずっと世話され続けているのかも知れない
障害者なのでモナは被害を訴え、相応の罰を社会に求めることが出来なかったのかも知れない
そして障害者との子供なのでボーには先天的疾患があり
障害者に性加害を受けたと認めたくない母親がボーの疾患は「医療者が落としたからだ」としているのかも知れない
そうすると屋根裏にいると言われた父親が男性器モンスターだったのは
「性的欲求をコントロール出来ない障害者」を表しているのではないだろうか
障害者は天使ちゃん理論に冷や水を浴びせる解釈である
モナの息子への接し方が狂っているのは性被害に遭ったからだとすると納得出来るし
ボーが性行為に異常に恐怖を抱くのは「性欲しかなく、性欲で人を(母を)傷つける化け物になりたくない」という嫌悪感もあるだろう
作品から受ける「性行為」「男性器」「性欲」に対する強烈な嫌悪はここが由来ではないだろうか
しかしモナは息子に対して前向きに接しようとし続けてもいる
クルーザーでは息子と同い年と見える女の子について「いい子じゃない」と前向きに息子の恋心を応援しているし
恋愛感情を抱く年頃に成長した息子を受け入れているように見える
そうすると
そんな年頃になった子供をそれでもベイビー扱いして添い寝していることが不気味にもなるのだが
そして二人は別に同じ部屋で宿泊しているのではなく、別々の部屋をとっている
これは思春期の息子への配慮にも思えるし
であるならば
夜に息子に「散歩にいこうかしら」とどっちつかずの態度を見せて結局冷酷に見えるような言い方で散歩はしないと言い、息子を部屋から追い出すモナの様子が奇妙である
モナの部屋へ、モナがボーを招いたのか
それともボーがモナの部屋を訪ねたのか
これは
モナがいつまでもベイビー扱いをしてボーを育てるので
ボーが思春期になってもママにおぎゃるバブちゃんに成長し
夜はママと一緒にねんねしたいということだったのではないだろうか
それを受け入れつつ
でももう大きくなったし一人でねんねしなさいね
と一方では扱い
しかし気分によってはベイビー扱いをしていたのではないだろうか
つまりモナもずっと不安定で
時には年相応にボーを扱い
時にはいつまでもベイビー扱いをしていたのではないか
そして決定的な亀裂がこのクルーズで起きたのではないだろうか
ボーはエレインに恋心を抱き
父親が不倫をしている家庭で育っている、そして母親から大切に扱われていないらしいエレインは
そういう少女がとる一例としてよく見られる性的な成熟を見せている
本来ならそういう興味はもっと後から枠ものだが
父親のせいで倫理観がぶっ壊されて仕舞っている
ひょっとしたらヒステリーなエレインの母親は
エレインの奔放さを叱りつけていたのかも知れない
いずれにしろ
エレインの家族も崩壊していることがこの映画では描かれている
徹底的にアリアスターは登場する家族が全部破綻していることを描く
幼い短慮さからエレインとボーは性的な一線を越えかけたのではないだろうか
モナは、息子の恋愛は段階を踏んで、例えば双方の親に紹介しあって懇意になって……と進んでいくもの、自分とは違って全うな手順を踏んでいくものと考えていたのに
そんなことがなく一挙に距離が知事待ったので息子がたぶらかされたと怒っていたのかも知れない
そしてそれはボーの記憶の中では少し拗れて描写されている
エレインが船から降ろされたのは、見ず知らずの男の子と性行為をしたことがバレて
エレインの為によくないと母親が判断したからかも知れない
とすると、ボーは童貞ではなく、経験があるのかもしれない
しかし恐れから射精はしていない可能性がある
この性行為のせいでモナは完全に息子への接し方が狂ったのかも知れない
とここまで描いたが根拠のない妄想なのだが
そして意味深にボーを見つめる太った中年男性の存在が説明できない
ひょっとしたらボーは中年男性に性加害を受けたのかも知れない
キリスト教で同性愛は禁じられているが、ユダヤ教でも禁じられているのだろうか?
ひとまずクルーザー周りは置いておいて
第一部の話に戻る
ここに至るまでのボーとモナの関係がどうだったのか完璧には解らないが
ボーはジジイになっても自分をベイビー扱いする母親を疎ましく思っていた
でも帰省の土産に母子像を買い、メッセージを書く程度には母親を好いている
アリアスターは、家族というのは歪なもので、同時に憎悪と愛を抱いていて、それが普通で、別におかしくはないと描きたいのかも知れない
実際多くの家庭で「あんたなんきゃ産まなきゃ良かった」と「産んでくれと頼んだ覚えはない」のやりとりが行われているんだろうし
そのどっちもカッとなってのたわごとで本心とは乖離しているのだ
そして、この問題には多くの場合父親は介在出来ない
ボーはおそれているでの父親不在は「家族にとって父親って不要じゃね?」「とにかくセックスして気持ちよくなるだけで子供が得られる男性性の歪さ」を描こうとしているように思える
母と子は愛憎まみれてがんじがらめになっているのに
父親はお気楽でいいですね、みたいな
その嫌悪感もあの男性器モンスターに表れているように思える
さて
ボーはとにかくいろんなものに対して恐れを抱いている
父親の命日に変えることはいつもの習慣だったのか
長く帰省しないボーにモナが父親の命日を機会に戻ってこないかと言ったのかも知れない
先述の通りジジイになってもベイビー扱いするモナがボーを離して生活させるのは奇妙なのだが
愛憎の結果だろうと思う
そしてベイビー扱いは
「ボーに性欲を持って欲しくない」
という気持ちも含まれているのかも知れない
ボーは翌日の予定への不安とおそれからよく眠れない
隣人からの「うるせーぞペーパー」と「隣からの轟音」はボーが妄想してしまった「おそれ」だろう
精神的に疲弊しているので寝過ごしてしまい
慌てて荷支度を開始するのだが
前日に済ませてないあたりが「先天的疾患者」っぽさを表している
多分ボーは注意散漫で、予定にない予定が出来たりするのが苦手だし
気が進まないことは本当に出来ない特質なんだろうなというのが解ってくる
そしてなんにでも「おそれ」ている
マウスウォッシュを飲んじゃったくらいでガンの心配をする
きっとこれはネットか何かで謝った情報を読んじゃったのだろう
不安がっている人には不安をあおる生地ばかりがヒットする
実際他は「見えなくなる」のだ
だから精神安定剤を飲んだ時水無しで飲んだ時に「死ぬ」という記事を見つけてしまったのだ
恐らく嘘でデマである
水無しで飲んだ鄭度で死ぬ薬が認可されているとは思えない
水絶対飲んで、はそうしないと薬効がないとか、腹痛になる程度だと思う
それか恐怖症のほっさにより気道に入っちゃうのを心配したもの
恐らく医者はそういうことも説明している筈だが
そのシーンがないのはボーの「注意散漫」な特質により上の空で覚えていられないのだ
ボーはメモするって習慣をつけたほうがいい
でもジジイになってもこうなので本当に救いがない
さて
ボーは荷造りを終えいよいよ外出しようとするのだが
デンタルフロスを忘れていたこを思い出して荷物を廊下に出したまま、鍵をドアノブに刺しっぱなしのまま部屋に戻る
だってほんの数秒で終わる
しかし戻った時、鍵も荷物も無くなっていた
これは妄想であると考える
ボーは恐れている
「このわずかの間に荷物を盗まれたらどうしよう」
そして荷物と鍵が無くなるが
なぜかボーは「鍵がなくなった」ことには執着するが、荷物の行方を気にしない
これは
実際には荷物はそこにあり
鍵を実際失くしたのではないか
鍵は多分ポッケに入っているか、浴室の鏡の前に置きっぱなしにでもなっている
でもボーは注意散漫と恐怖症でそれに気付けない
「鍵は無くなった」と思い込んでいる
その妄想を補強する為に「荷物もなくなった」と思い込んでいる
そして母に電話する
この時、ボーは「荷物を盗まれた」ということも伝えればいいのに「鍵がなくなった」としか言わない
これが、鍵は実際ボーは見失っているが、荷物はそこにある
本当は鍵も何処にあるか知っている
の根拠だ
母親は「鍵を失くした」というのが虚言で「ボーは帰郷したくなくて嘘をついている」と思い込んで仕舞う
ボーはただでさえ動揺して精神不安定になっているのに、縋った母親に梯子を外されて更に狂乱し、精神安定剤を服用するが
水が無い
運悪く水道が出ない
これは本当に出なかったのではないだろうか
後に貼り紙が掲示されるので
ボーは「〇日〇時から水道のメンテナンスをするので水が使えません」という掲示を見逃していた可能性が高い
或いは
アメリカではそこまで親切ではなくて、日本では当たり前に行われるような告知が行われないのかもしれないが
「もう水道使えるよ」と掲示されているんだから
そしてそれにボーが気付いていないという描写が敢えてなされているのだから、水道ストップの掲示もされていたと考える方が自然だろう
そしてボーは妄想により超危険になっているおんもへ飛び出し水を買いにいく
水を飲まねば自分は死ぬと思い込んでいるので会計前に飲んじゃう
アメリカではそういう行為も許されているらしい
しかしカードがつかえない
このタイミングでカードが使えないのは
思い込みで激昂したモナがお仕置きとしてボーのカードを使えなくしたのではないかと思われる
ボーは「きちがい達が自分の部屋に入ってきたらどうしよう」とおそれているので
そのおそれが妄想として現実になる
ボーは募金のお金を使って支払いを済ませる
その程度のことは許してくれるのか、警察を呼ばれた様子はない
ボーの妄想では部屋に狂人が溢れかえっているので中へ入れない
電子ロックの件で大家と上手くコミュニケーション取れないのも、鍵の時にあしらわれるのも
本人がパニクっていてうまく説明出来なかったのか
大家が不親切なのかはちょっと解らない
普段から「おそれ」により問題を起こしていそうなのでボーは雑に扱われているのかも知れない
しかしあのボーを溺愛し憎悪するモナならボーが世話になっている所にお金を払ってはいそうなので
店の会計で警察を呼ばれなかったのも
予めモナが迷惑料を支払っているから見逃してもらえたのかも知れない
野宿したボーが目覚めた後意味深に映し出されるキリストの「お前を観ているぞ」
ボーは「帰省しなかった」ことに対して罪悪感を抱いているという表現かも知れない
そして部屋に戻ったボーは、母親に電話をして、その死を知る
これが現実なのか、妄想なのか、モナの偽装なのかは解らないが
わたしは「日頃死んで欲しいと考えてしまうこともある母親が、あの喧嘩の後本当に死んでいたらどうしよう」という妄想が生み出したものなんじゃないかと考える
そしてユダヤ教では家族(?)が死んだら弔意を示す為に一週間お風呂に入ってはいけないらしいのだが、ボーは入っちゃう
ユダヤ教の規律よりも自身の不快を拭う方を選んだ
それを深層心理では理解しているので、ボーは天井に張り付く男を幻視し、その男が毒グモ(ユダヤ教では罠を意味する)に噛まれるのまで幻視する
男はずっと何かを必死に訴えるように首を横に振っている
「戒律を破るなんてしちゃだめだ」という自信の無意識の現れなのかも知れない
そして男はバスタブへ落ちてくるのだが、ここの描写も意味深である
ボーは勿論全裸なのだが、落ちてきた男ももみあう内にズボンが脱げて尻が丸出しになる
これは「不本意な性行為」の表現ではないだろうか
そして男性同士
クルーズ船でやっぱりボーはじっとみつけてくれるふとった中年男性から性加害を受けたのかも知れないし
キリスト教のタブーの同性愛を匂わせたのかも知れない
ボーは全裸で外に飛び出す
そして警官にフリーズ! され、武器を捨てろと言われるのだが
手にしていた母子像を落とし、不動を保持して尚警官は「動くな動くな撃たせるな」と喚き散らす
これもボーの妄想で
自分がじっとしているのに警官が撃ってきたらどうしようの具現化かもしれない
そして報道されていた連続殺人犯にボーは刺されるのだが
それが脇腹と掌という、キリストの生痕の位置と一致している
このことにより
激昂したモナは「私を愛さない息子はいらない、背信者はユダヤ教から追放する、裏切り者のイエスのキリスト教徒にでもなりやがれ」の意味だとする解釈があり成程と思った
で
ボーはキャンピングカー
冒頭で「炊き出し」をしていた車に轢かれ意識が途絶える
このキャンピングカーは現実なのだろう
ボーがガラスを突き破りガラスの散らばる廊下を走り抜ける描写について
絶対痛くて飛び上がるのにそういう痛みに鈍感
頭の怪我も痛がるのではなく血の流出量を気にする等、物理怪我に反応がないので、これは妄想
でも轢かれた時は痛がっているのでガチ
という解釈を観た
脇腹刺されて掌刺されて
も悲鳴を上げていたけれど
あれは妄想かもしれない
自分はユダヤ教徒に相応しくないという思いから、裏切り者のイエスに自身を準えたのかも知れない
で医者の家が現実なのか妄想なのかが解んないんだなー!
これ精神病棟に入院させられて
それが普通の一般家庭のように見えているボーの妄想なのかなと
そしてトニは実の娘ではなくて養子なのではという解釈
キリスト教では4が大事な数字で
完璧な家族は四人家族らしい
息子を戦争で失い
三人になってしまったので養子を求めている
実際本当に医者で
轢いたとあっちゃ醜聞だから自宅療養して隠蔽しているのかも知れない
そしてありがちな(ビーキーパーでも見られた)長男教で、娘が粗末に扱われている
愛頑子と搾取子とまではいかないが、搾取されないまでもトニは雑に扱われている
で
トニのパソコンを使って母の死が真実だと知り
エレインの姿を見て吐いた意味
不快感を覚えたから吐いたのだろう
エレインに対して良い思いがあれば吐いたりはしないのでは?
と思ったので
クルーズでエレインとセックスしてそれがトラウマになっているのでは? と考えた
そしてトニについては
同性愛者なのではないかという考察があった
友人のように見える女の子といる時だけトニは楽しそうであり
そのことからキリスト教では禁じられている同性愛者という存在がトニなのではないかということだ
そしてアリアスター三部作ではなぜか家族の妹はみんな死ぬんであるな
ヘレディタリーでは事故死
ミッドサマーでは自殺……なのだが一酸化炭素中毒死にしては目ん玉かっぴらいて死んでいるので他殺の疑いがある、が、アリアスターはきっぱりとテリーの死はホルガ村と関係がないと言っている
で、ボーはおそれているではトニは自殺する
ペンキで自殺出来るんだあ……
それはそれとして
どうしてトニは自殺を選んだのだろう?
理由が解らないのである
試験に落ちたと言っていたが
ここをして、トニもこの家族を完璧にする為に引き取られた養子だが、養い親から愛されないと確信し、絶望したのだろうか
それにしたってジジイを養子にするのは奇妙なので、この医者一家もなにかおかしいのだろう
いざトニが死んでしまうと
あんなにトニを雑に扱っていた母親
そして自分より年上のジジイにしか見えないボーをまるで実の息子のように接していた(はっきりいって気持ち悪い)母親は「お前は息子に成り代わりにきた悪魔だ!」と罵り
どういうつもりで養っているのか解らないPTSDの男に殺させようとする
これは結局「キリスト教徒にもなれなかった」ということが言いたいのだろうが
なんでトニが死んだのかがやっぱり解らないし
どうしてこんなジジイを養子にしようとしたのかが解らない
ちょっといっぱいかいてつかれたから続きはまたこんどね