多分「クトゥルフの呼び声」を読了した話はまだしていなかったはず。はず。
どんな長編サスペンスコズミカルホラーなのかと思ったら短編でござった。
事件に巻き込まれた誰かの覚書、みたいな文体、体裁でした。
あそこ膨らませたりここを膨らませたりしたらハリーポッターもびっくりの大長編になるんじゃねーの!? って感じなのですが、そういうのを求めているわけではなかったのですねラヴクラフト先生は。
ぶっちゃけそんなに怖く無かった、と言いますか怖く無かったです。
どこかで誰かが「クトゥルフが怖いのはキリスト教的な考え方で対峙するから」云々系のことを言っていましたが
神とは絶対であり契約者であるわけで、そういう善なる存在であるはずの、「善なる」とか言うこと自体がおこがましくてわらけてくる存在であるはずの”神様”がクトゥルフ様みたいな有様であることが「冒涜的でおぞましく恐ろしい」というわけなのですね。
アミニズム的な、原始宗教的な、或いは宗教に依らない道徳が根付いている文化圏からクトゥルフを覗き見ると「ああ、あるよねー」と割かしすんなり受け入れられるものです。
書かれた時代背景と恐怖が結びついているのかも知れません。
例えばTRPGのパラノイアが、社会主義のあれがそれでどうのの頃の西社会を皮肉ったお遊びであったりするように
クトゥルフを恐れる人々の心理が、当時の社会情勢を如実に描き出しているのではないでしょうか!
頻りに目についたのは白人至上主義的な考え方でした。
なるほど、当時は移民だなんだで人種のサラダボウルが愈々ごたごたしていた時期だったのかも知れません。面倒なので調べはしません。
教養が無く、悪事を働くのは黒人や、混血の人々という「物語のお約束」がしっかりと活用されている文章となっていました。
そういう「お約束」が機能する時代に書かれた作品だということが解ります。
で、怪しいおぞましい事件の裏にはブードゥー教に代表される淫祠邪教の存在があり、そこに組しているのもまた黒人であったり混血の人だったりするのです。
彼らは教養も学識もなく野蛮であるということになっています。
ブードゥー教と十把一絡げにされているのは、キリスト教が弾圧した諸諸の信仰であり、その実がどうあれ「恐ろしいもの、悪いもの」と烙印を押されてしまっただけのものです。
そして黒人や混血の人に教養が無いと定義されているのは、キリスト教的な知識が無い=教育が受けられなかったということになっているわけです。
キリスト教に関さない知識が豊富だったりとある道のエキスパートだったりしてもそれは「学が無いこと」にカウントされるわけですね。
つまりキリスト教が絶対唯一無二の立場だから、他のものは全部駄目ってことです。優秀であるはずがない。
中華思想の、中央から離れた周辺地域に生活する異民族が優れているはずがない、っていうのと同じなのかな?
白人でなければ白人社会に参画は出来ないうことで、肌の色を見れば登場人物の職業やら来歴やらが解る、
そんな舞台装置の中で物語が展開されますが、そういう点にばかり興味が向くのであんまり物語自体を楽しめませんでした><
そういう時代の作品なのだから気にしても仕方がないとは解っていますが気になるのは仕方ないよね!
一々文章読みながら頭の中で“いやハーフだからってなんでチンピラ確定なんだよ! ああそうか外国人と結婚するということはそれなりの地位もなくお金も無い下層階級の人で云々”
とか考えたり反論したりしながら読むの疲れる!
これが、「当時の人には当たり前のこと過ぎて誰も疑問に感じずスルーあるいは事情が解っているのでそのまま読めるが、後世の人にはちんぷんかんぷん」の一例なのですね。
古文を読んでいると稀によく起こる現象です。
例えば伊勢物語の伊勢の斎宮とのお話では、当時の女性は普通座って室内にいるもので、表を出歩いたり、自ら男に会いに行ったりはしないものだ、という前提を理解していないと
巫女が夜中に庭に立っているというシーンがどれだけ強烈なのかが解らない、というやつです。
ちょこっと古くなっただけで注釈入れながら読まないと理解出来ないようになるほど世の中はめまぐるしく変わっているのだなあ(´ω`)
でも多分同時代くらいの「ナルニア国物語」読んでいてもツッコミ入れたくなる場所はzえんぜん無いから、やっぱりアメリカっていう文化圏はキョウレツだったってことなのかしら。
でも思いついた、気付いたことに対して裏取りを行わない怠慢さが五衰クオリティ。
駄目駄目だ! 死ね! 死んでしまえ! 死ぬのが嫌ならもっと調べろおたんこなすび!
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