子供の頃から三国志が好きだった
わけではなかったのだ、このわたしは。
きっかけは従姉の家に遊びに行った時プレイさせてもらった「真・三國無双3」というゲーム。
それまでプレイしたことがあるテレビゲームが「FFⅨ」くらいだったわたしにとって、無双シリーズは「第二のゲーム」とも言える作品となった。
その頃はまさか、後年にKOEIのゲームなんて二度とするか糞がと唾を吐くことになるなどとは思いもよらなかったわけであるが。
わたしはゲームというもの自体が苦手で、格闘ゲームはもちろんアクションゲーム、パズルゲーム、シミュレーションゲーム、とにかく全ジャンルが苦手だった。今もだが。
だものだから、お手軽に遊べて爽快感も味わえるアクションゲームというのは初体験の新触感で、アッーと言う間もなくはまっていったわけである。
どれくらいハマったと言うと、無双というゲームの世界観の元になっているらしい「三国志」に興味を抱く程に。
だからわたしが初めて触れた三国志は、今は憎しみばかりがつのるKOEIの「三国無双シリーズ」というゲームだったのだ。
こんな切欠なので他の三国迷の方々には顔向けが出来ない恥ずかしい黒歴史あうあう
そんなミーハーまっしぐらのわたしが無双への執心によって次に手に入れた三国志は、吉川栄治の「三国志」という小説(全八巻)だった。
当時のわたしは博愛主義者のゲテモノ好きだったので、無双によりキャラクター化していた三国志登場人物を全員愛で、好悪もとくになく、吉川三国志で一番好きなのは張飛と答える有様だった。
吉川張飛が好きになった理由は、生きたニワトリをそのままバリバリと食べるワイルド憧れたからだったりする。
主人公の劉備青年にも好感を抱いていたし、同時に、悪の華のように麗しく描かれる曹操も好きだった。
当時から漢詩も好きで、中華文化圏、物語に強い憧れを抱いていた。
寝食もおろそかにしてむさぼり読んだ吉川三国志の後に、わたしは陳舜臣の筆なる三国志に出会う。
その頃のわたしは、とにかくなんでもいいから三国志の小説が読みたかったのだ。
おぼろげに得心がいかなかったのは、曹操の不当な扱いと、劉備の異様な持ち上げられ様。
曹丕はそこまで悪人だったのだろうか? 曹植とそんなに反目し合っていたのだろうか? 諸葛亮は本当に天才だったのか? 司馬懿はただの噛ませ犬なのか?
疑問が湧くのは当然のことだと思う。
小説なのだから大なり小なり脚色されるのも当然というツッコミは無しの方向で。
陳舜臣の「諸葛孔明」を読み、「曹操」を読み、「秘本三国志」を読み、気が付いた時にはすでに曹操の虜になっていた。
今はもう、どうして自分が曹操を様付けで呼ぶようになり、魏が好きになったのかは覚えていない。
そしてどうしてここまで三国志にのめりこんだのかも解らない。
それでもまだまだわたしは、三国志について知っていることは両の手で数えられる程度のことでしかなかった。
あれは夏の日のことだったろうか。
インターネット上に甚だ興味を惹かれるページを見つけた。
「三國志Online」
KOEIが提供する、三国志の世界観を元としたMMOの宣伝ページだった。
MMOが何かというのは、なんちゃってネラーだったわたしは知っていた。
丁度その頃、わたしは三国志のRPGがしたいと思っていた。
キャラクターをエディットして、三国志の世界を冒険するのだ。
KOEIの三國志シリーズはやったことのないわたしだったが、それがRPGではないことは知っていた。
三國志Onlineに期待と妄想を膨らまし、わたしは無料期間が訪れるのを待つことにした。
課金してプレイする気などさらさらなかったのだ。
ネットゲームをやったら人生が終わる。
そう聞いていた。
月に1500円も払ってゲームをするのは莫迦らしいとも思っていた。
繰り返すがわたしはゲーマーではなかったのだ。
今もであるが。
ほんの少しだけ、三国志の世界に触れることが出来れば、それでいいと思っていた。
やがて季節は廻り、わたしは三國志Onlineのことをすっかり忘れていた。
十月の、あれは風の強い日だっただろうか。
それとも穏やかに暖かい日だったろうか。
ともかく、なんでもない日だった。
偶然出会った友人が不意にわたしに言った。
「三國志Online、今プレオープン中だよ」
それでやっとわたしは思い出したのだ。
友人はすでにプレイ中だということだった。
わたしは早速三國志OnlineをDLし、起動させた。
三つのサーバーがある。
廬山、黄河、泰山。
心はすぐに決まった。
泰山府君の、そう、閻魔様に縁ある泰山にしよう。
厨二病全開だった。
そして、分身となるキャラクターのエディットを始める。
一番小さい女性キャラクターを選び、バーをいじったり声を聴いたりすること一時間、
ようやく納得のいく外見に仕上げたが、お次は名前を考えるターン。
名の方はすぐに決まったが、姓をどうするかにかなりの時間を割くことに。
わたしはウェブ上の中国姓についてのまとめ的なサイトを幾つか閲覧しつつ、だいたいいつも持ち歩いているマイバイブル漢字海をめくり、姓として使用可能な漢字を探した。
武将の誰とも被らない姓で、且つ出自に物語をうかがわせるもの。
太古の王の姓にしようか、それとも後漢末期に活躍した士人達にあやかろうか。
王族の末裔です、という設定も楽しかろうし、曹操様の縁者ですと言うのも楽しかろう。
厨二病と邪気眼と妄想族が全開だった。
そうして一時間かけて選んだのは、蔡という姓だ。
わたしは本が好きだ。
だから、蔡邕の親戚という立場にして、蔡邕の蔵書を気軽に読ませてもらおうという無意味なを設定をこしらえた。
名家の出であるから士官もしやすかろうというもの。そんなシステムはございません。
そんなわけでわたしは姓と名を得た。だが、字を手に入れるのは、もっとずっと後になる。
時に2007年10月5日。
黒い改造漢服を身にまとって三國志Onlineの世界にポップしたわたしが、初めて出会うNPC水鏡先生と自分との大きさの差に愕然とするのは、あまりにも有名な話である。
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