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ゆめのなかでゆめをみて ゆめのつづきをゆめにみる
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こんにちは、わたしです。

なんとなくテレビのチャンネルを回していたら宇宙の誕生について的な番組をやっていました。

終わりの方をちょっと観ただけなのですが、なんだか急に不意に解って嬉しかったことがあるのでぐだり書き。

結論を述べると「宇宙の始まり」とかいうやつは数学の分野なのだ、とするとまつ毛が長いとかお腹が痛いとかも数字とか数式の解って言える、

ゆくゆくはなにもかもの存在すべてを微分積分とか出来るのだろう、と。

最後が「宇宙はどうやって誕生したか」みたいなテーマだったのですが、学者さんが

「宇宙は無から生まれた」

と言いました。

そのCGモデルとして、立方体が表示されました。

立方体の底面から不思議にゆがむ球体がぬるりと侵入し、球体は立方体の中に納まってゆらゆらと揺れ動いています。

立方体に侵入したの「宇宙の種」と呼ばれるもので、これが成長して宇宙になるのだそうです。

素粒子はエネルギーの壁をすり抜けることが出来る、だから宇宙の種も……という論理展開だったのですが、そこで誰でも思うわけです。

じゃあその立方体の外側はどうなっているんだよ!

と。

学者さんは次のように仰いました。

「宇宙は無限に誕生している」

つまり立方体の隣にも立方体が在って、そこから種が侵入してきたのだろうか?

証明だとかなんだとかの方式で説明するなら、今中央に表示されている立方体について考えているわけだから、画面外の立方体の「始まり」については考えないこととする

という但し書きが添えられている状態なわけですね。

それはさて置いて、シャンパンに沸く無数の細かい泡を宇宙と置き換える比喩はよく聞きますが、もしそのように宇宙が誕生して存在し、

わたしが今生きている地球というのが偶然発生した宇宙が、数えきれない大量の宇宙の中の一つである、とするならば

「宇宙はどうやって誕生したのか」

とか

「わたしはなにものなのか」

とかいうとても生々しい肉の熱が籠った疑問は、

実は数学的な問題でしかなかったのだということに思い至りました。

「生きている」とか「感じている」とかいうのも「宇宙の誕生」といったものと絡めて考えるととある数式の解なんだなあ、と。

つまりグレンラガン式宇宙認識の方法でだいたい合ってるんだなとなぜか認識されてしましました。

多元宇宙だとか時間軸がどうのとかいう話。

数えきれない量の「場合」の中のそのまた「場合」の中の……これを数えきれないだけ繰り返して、それらの「場合」が同時に存在している状況における「今」

っていうのは数学の話。

つまり「今」とか「明日」とか想像していたりする「わたし」も数学だったということ。

意味が解りませんね。

一瞬でカチリと浮かんだ「なにがしか」なので数秒、あるいは数分前の時分が解っていたという事実が解っている限りはわたしは満足です。

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