わたしは好きな作家さんが幾人かいますが、児童文学の中ではとりわけ富安陽子さんと上橋菜穂子さんが大好きです。
今回は上橋菜穂子さんの作品について少し思い出話をさせて頂きます。
わたしが上橋菜穂子さんの「精霊の守り人」に出会ったのは、「闇の守り人」も既に出版されていた頃だったと思います。
のめり込んだこと、のめりこんだこと。
わたしの憧れている女性上位三名内に、バルサはがっちりランクインしています。
つい最近守り人シリーズは完結し、近日中に外伝的な「炎路をゆくもの」と言う本が出版されるそうで楽しみです。
ずっと追い続けていたつもりだったのですが、途中で少し守り人と時差がずれてしまい、最後の天地付近は、出版後随分後になってから読みました。
その頃には獣の奏者エリンのアニメも終了していたかも知れません。
獣の奏者は、存在を知った時既にアニメの話も聞こえてきていたので、なんとなく食指が動かず、ほとぼりがさめるまで手を出さないことにきめていました。
そして先日突然読みたくなって一巻を手に入れてきたのですが、一巻しか買わなかったことを後悔しました。
一巻は物語の中盤までしかなく、二巻まで読んで初めて完結する仕様だったのです。
わたしは途中で物語が切れるのがどうにも堪えられないのです。
次が読みたくて読みたくてそわそわと落ち着かなくなります。
兎に角お仕舞まで読み終えないことには、食事も風呂も就寝も出来ませんでした。
吉川栄治の三国志を読んでいた時など大変だったものです。
今回のところは大人しく引き下がり後日全巻手に入れようと思っております。
それにしても、児童文学ですが。
合法ロリが多いと思うのはわたしの気のせいでしょうか。
十三、四歳の少女の主人公と、二十歳を越した青年が後々夫婦になったりする展開が多いのです。
子供の頃読んでいた時はそれほど違和感はありませんでした。
恋って素敵ダワ! なんぞと純真に思うくらいで、また、ひたむきでめげなくて、聡明で凛々しい女の子の主人公と、悲しみに縛られている気高く強い青年がお互いの心を通わせていく様はわくわくと胸が躍り感動的でした。
大抵彼らは戦だとか、陰謀だとかに巻き込まれ、その渦中で必死に命を輝かせています。
そんな物語を多く読んだせいか、わたしは「恋物語と言えば戦場の恋だ」と思っておりますし、スクールラブだのオフィスラブだのの主題はどうも温く、物足りなく感じてしまいます。
恋、愛はテーマではなく、要素として大河の一滴の如く物語に添えられるものだ、そうでなければ読めない、などという持論で物語を選ぶのは児童文学に責任があるわけではなく単にわたしの趣味嗜好でしょうが
とにかく合法ロリなのです。
わたしはかつてとは違ってしまった。
もう純粋な目で二人を見ていられません。
活字を追いながら顔に沸くのは気持ちの悪いおっさんのニヤニヤ笑いです。
だ、だって、だって……!
母を失い、聡明で知識欲の強い、野に咲く花のようにはかなく強く、古より続く秘術をその身に宿している十四歳の少女とですよ
王を護る為全てを捨てることを強いられ、春風のように優しい心を持ちながら氷との強さを求められ鋼の生を生きる二十歳の青年ですよ。
邪な目で見るなと言うほうが無理なのだ!!!!
ウホッ 美味しい! って思いながら読んでるわたしを殴り殺したい!
そうです、わたしはロリコンなのです。
殺人マシーンみたいな青年と、知識欲の強い聡明な少女っていいよね、最高の組み合わせです。
わたしがそういうの好きなのはジブリにも責任があると思う。
因みに獣の奏者は、多分間違ってもそんな話ではないと思います。
もしも、子供の頃に、
なぜ鳥は空を飛ぶのか? どうしてタンポポの種に綿毛がついているのか? どうして動物は様々な形をしているのか? なぜ人間とは違うのか?
そんな疑問を抱いた方なら、当時を思い起こしながら読める懐かしいお話なのではないでしょうか。
本さえあればそれで満足、と先に述べましたが、平行して興味が尽きなかったのが生き物についてのことだったのを書き添えておきます。
何にせよ、世界を知りたい、という欲求は、大人よりも子供に豊潤に備わっているものなのでしょうね。
いまや枯れ果ててしまったわたしの心ですが、再び覆いの無い目でものを見よう、とそう思いました。
十四歳少女と二十歳青年に向けられた邪視は除けそうにありませんけど。
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