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ゆめのなかでゆめをみて ゆめのつづきをゆめにみる
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こんにちは、わたしです。

児童文学と呼ばれるものが好きです。

それは自分が、児童文学を読んで育ったからかも知れません。

児童とはまったく呼べない年になった今でも、自分を育んだそれは、なんの違和感もなく心の中に入ってきます。

大体が、児童文学と呼ばれるものは、児童に読ませるには勿体ないくらい重厚な作品が多いと思います。

大人も楽しめるファンタジー、と銘打たれる作品を良く見かけますが、そう謳われた作品の全てが看板通りであるかは別として

物語が好きであるという人は、幾つ歳を重ねようが物語を愛し続けるのではないでしょうか。

それなら大人も楽しめるというのは当然です。

物語を読むのは、物語が好きな人間なのですから。

初めて読んだ児童文学がなんだったのかもう覚えていませんが、初めて心酔したのはナルニア国物語でした。

本にはハードカバー版と文庫版という二種類があると思いますが、わたしはハードカバー版が好きでした。今でも好きです。

あの、子供の手にはわずらわしい、重くて堅い本を落ちないように抱えて、だんだん腕が疲れて膝の上に置いてみたり、寝ころんでみたりしながら、それでも絶対に読むのを止められない。

本の重さが心地良く、持っているだけでわくわくしたのです。

文庫には文庫の良さがあるのですが、それでも昔はハード版でないと読んでいる気がしませんでした。

だから、幾つだったかの誕生日に買ってもらったナルニア国物語全巻セットが、文庫版だったことに心底がっかりしたのでした。

両親の手前とびきり喜んでいる振りをしたのですが、事前に大きい本の方、と伝えなかったことを後悔しました。

当時は最終巻まで読み終えるとまた一巻から読み始めるということを何度も繰り返していましたが、ここ数年はずっと読んでいません。

それよりも、本自体をあまり読まなくなりました。

昔は一日に一冊は読まないと呼吸困難になる程だったのですが。

買ったまま、本棚に仕舞って読んでいない本が何冊もある有様です。

脈絡もないですが、ここで動画を貼り付けます。



この歌が頭から離れません。

わたしは好きな作家さんが幾人かいますが、児童文学の中ではとりわけ富安陽子さんと上橋菜穂子さんが大好きです。

今回は上橋菜穂子さんの作品について少し思い出話をさせて頂きます。

わたしが上橋菜穂子さんの「精霊の守り人」に出会ったのは、「闇の守り人」も既に出版されていた頃だったと思います。

のめり込んだこと、のめりこんだこと。

わたしの憧れている女性上位三名内に、バルサはがっちりランクインしています。

つい最近守り人シリーズは完結し、近日中に外伝的な「炎路をゆくもの」と言う本が出版されるそうで楽しみです。

ずっと追い続けていたつもりだったのですが、途中で少し守り人と時差がずれてしまい、最後の天地付近は、出版後随分後になってから読みました。

その頃には獣の奏者エリンのアニメも終了していたかも知れません。

獣の奏者は、存在を知った時既にアニメの話も聞こえてきていたので、なんとなく食指が動かず、ほとぼりがさめるまで手を出さないことにきめていました。

そして先日突然読みたくなって一巻を手に入れてきたのですが、一巻しか買わなかったことを後悔しました。

一巻は物語の中盤までしかなく、二巻まで読んで初めて完結する仕様だったのです。

わたしは途中で物語が切れるのがどうにも堪えられないのです。

次が読みたくて読みたくてそわそわと落ち着かなくなります。

兎に角お仕舞まで読み終えないことには、食事も風呂も就寝も出来ませんでした。

吉川栄治の三国志を読んでいた時など大変だったものです。

今回のところは大人しく引き下がり後日全巻手に入れようと思っております。

それにしても、児童文学ですが。

合法ロリが多いと思うのはわたしの気のせいでしょうか。

十三、四歳の少女の主人公と、二十歳を越した青年が後々夫婦になったりする展開が多いのです。

子供の頃読んでいた時はそれほど違和感はありませんでした。

恋って素敵ダワ! なんぞと純真に思うくらいで、また、ひたむきでめげなくて、聡明で凛々しい女の子の主人公と、悲しみに縛られている気高く強い青年がお互いの心を通わせていく様はわくわくと胸が躍り感動的でした。

大抵彼らは戦だとか、陰謀だとかに巻き込まれ、その渦中で必死に命を輝かせています。

そんな物語を多く読んだせいか、わたしは「恋物語と言えば戦場の恋だ」と思っておりますし、スクールラブだのオフィスラブだのの主題はどうも温く、物足りなく感じてしまいます。

恋、愛はテーマではなく、要素として大河の一滴の如く物語に添えられるものだ、そうでなければ読めない、などという持論で物語を選ぶのは児童文学に責任があるわけではなく単にわたしの趣味嗜好でしょうが

とにかく合法ロリなのです。

わたしはかつてとは違ってしまった。

もう純粋な目で二人を見ていられません。

活字を追いながら顔に沸くのは気持ちの悪いおっさんのニヤニヤ笑いです。

だ、だって、だって……!

母を失い、聡明で知識欲の強い、野に咲く花のようにはかなく強く、古より続く秘術をその身に宿している十四歳の少女とですよ

王を護る為全てを捨てることを強いられ、春風のように優しい心を持ちながら氷との強さを求められ鋼の生を生きる二十歳の青年ですよ。

邪な目で見るなと言うほうが無理なのだ!!!!

ウホッ 美味しい! って思いながら読んでるわたしを殴り殺したい!

そうです、わたしはロリコンなのです。

殺人マシーンみたいな青年と、知識欲の強い聡明な少女っていいよね、最高の組み合わせです。

わたしがそういうの好きなのはジブリにも責任があると思う。

因みに獣の奏者は、多分間違ってもそんな話ではないと思います。

もしも、子供の頃に、

なぜ鳥は空を飛ぶのか? どうしてタンポポの種に綿毛がついているのか? どうして動物は様々な形をしているのか? なぜ人間とは違うのか?

そんな疑問を抱いた方なら、当時を思い起こしながら読める懐かしいお話なのではないでしょうか。

本さえあればそれで満足、と先に述べましたが、平行して興味が尽きなかったのが生き物についてのことだったのを書き添えておきます。

何にせよ、世界を知りたい、という欲求は、大人よりも子供に豊潤に備わっているものなのでしょうね。

いまや枯れ果ててしまったわたしの心ですが、再び覆いの無い目でものを見よう、とそう思いました。

十四歳少女と二十歳青年に向けられた邪視は除けそうにありませんけど。
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無題
今気付いたんだけど、右上の絵がかわいいでゲス。ゲスゲスゲス。
琺家| | 2012/01/24(Tue)23:20:22| 編集
Re:無題
よせやいなのでゲス
【2012/01/25 21:57】
無題
児童文学の空想的なお話は、子ども心を忘れていない大人向けみたいな気もしますね。
戦国時代とか日本文学とかで幼い女の子が結婚させられたりしてるのが、ロリのはしりだったりするんですかね。
でもジブリも関係しているとは気が付きませんでした…。
星光| | 2012/01/26(Thu)01:05:50| 編集
Re:無題
自分は子供の心を忘れていないどころかいつまでたっても大人になれn(ry ゲフゲフ
魔法使えるようになっちゃいそうです\(^o^)/

当時も幼女趣味やお稚児など御座いましたので人類誕生からロリコンという連中はいたかも知れませんよね!戦国頃の14歳児と昨今の14歳児は中身の成熟度がzえんぜん違っていそうですが…w

ジブリが云々と言いますのは、その根底に「大量殺戮兵器と少女」というテーマがあるらしく、稚拙な言葉で表現しますと幼女に宥められる大量殺戮兵器というシチュに大変心を動かされ云々

つまりわたしの眼が濁っておるだけです(/ω\)
【2012/01/26 20:06】
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