わたしの勘違いかも知れない。
勘違いでなければわたしの世界でしか通用しない貨幣みたいなものかも知れませんが、ふと思ったことがあります。
あれからそこそこに歳月は流れました。
未だに忘れられない思い出があると同時に、もう思い出せない記憶にもそれは化けてしまっています。
毎日、顔とは断言し難い顔を突き合わせていた多くの人人と、今ではもう一文字も交わすことも無くなりました。
それでもわたしがあの日日を共に過ごした人人を、一方的にではありますが今も変わらず友人だと思っているのは、体験を共有したことに依るのだろうな、と。
ただチャットをしていたとか、メールを交換していただとか、それだけではここまで仲良くはなれなかったと思うのです。
毎日飽きもせず一緒に遊ぶことも無かったと思うのです。
突然話は逸れますが思いついたので併記。
ネットで知り合った友人の方が見た目などに惑わされることなくその真心を知ることが出来、深く仲良くなれる
という意見はよく聞くものではないでしょうか?
でもそれは違うと思います。
ネットというツールを使っての親睦も、ツールに依っていないように一見見えるリアルの、或いはオフの親睦も変わらないものだとわたしは思うのです。
ネットならば当然どうとでも自分を偽り演出することが出来ます。いい面ばっかり見せたり、言いたくないことは煙に巻いてしまえます。
でもそれは現実でも同じことです。隠したいことは隠せるし、取り繕えます。
ネットでの出会いは、よりその人の本質が伝わるのではなく、判断材料が減っていると見るのが適切ではないでしょうか。
ぶっちゃけ人間は見た目9割、ないしほぼ10割ですよ。内面は外面に出ます。
生活習慣も外面にばっちり出ますし、対人関係を伺い知ることも、幸せなのか不幸なのかまで漏れて見えます。
見た目というのは顔や体の造形のみにあらず、まとっている雰囲気や言葉遣い、仕草や姿勢など全て含まれます。
だいたいその所作からどういう人となりなのか解りますものね。
ネットでも、ただ喋っているだけではそれらは解りにくいですが、一緒にゲームをしていると大体の人と成りは解りましたよね。
その面でどのような行動をとるのか、どんな言葉を選ぶのか。
まとめると、よく観察してみればよく解るということですね。
当然の帰結ですねだからどうした。
話を戻します。
わたし達は、一緒に狩りをしたり、PDに行ったり、合戦をしたりしました。
それは、大きな壁を一緒に壊したり、登ったり、くぐったり引き返したりしてきたということなのです。
人と仲良くなるのはどんな時か、一緒に何かを始めて、それを成した時ではないでしょうか。
それを数えきれないほど繰り返してきました。毎日、毎時、毎分。
仲良くなるのも大切に思えるのも当然です。
むしろ、現実生活において、一緒に、損得なく、本気で何かを成すってそう滅多にはありません。
それらは義務でもなく責任でもなく手段でもなかったのです。
そりゃあもう、こんなにも大事に思えるは妥当な末路だったわけですね。
またみんなと一緒に問題にぶち当たって大騒ぎして、笑ったり泣いたり怒ったりしながらまた次の問題にぶち当たりたい。
だからさ、突然だけれど、「俺泰山魏で良かった!」とか「私泰山蜀で良かった!」「泰山呉最高!」etc
みんながみんなそう思っているんだろうなあって思ったら、少し幸せになった気がしました。
それらは対立させる項目ではなく、同時に存在していられる気持ちではないでしょうか。
自分がいた場所を愛せること、誰もが同じように愛していたこと、解りあえないけれど同じ気持ちを抱いていること。
他人事だけど嬉しいのです。
まあわたしいつも幸せですけれどね。
3onが無いのに幸せなことが一番悲しい。
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