プルバックカーが欲しかったので遂に観に行った
セイレーンがなぜ植物の育成を促進するのか?
正確にはセイレーンと人魚の歌
そしてどうしてセイレーン達は植物を操れるのか?
彼女達は海の魔物である
セイレーンは元々は鳥の姿の魔物
セイレーンの伝説を紐解けば理由が解るのかも知れない
チラシを運んでいた鳥はそもそも島二郎の相棒
鳥は多く神の使いとして描かれる
島二郎が神なのだとすると、鳥は島二郎の使いだったのかも知れない
セイレーン達がしまに来たのはなぜなのか
これについては本当に偶然たまたまで本当に理由はないのかもしれない、なくてよい
島二郎が神なのだとしたら一体いつから忘れられていたのか
忘れられていた、気付かれていないのだとしても島二郎はずっと貝汁とカレーの店をやっていた
これは島二郎という神のご加護、御利益かも知れない
誰も祀らなくても信仰しなくても島二郎はずっとそこにあり、島二郎は島二郎としての営みを続けている、のか?
鳥は島二郎の上意をただ伝える存在ではなく自分の意志があり
島二郎の信仰を呼び起こす為、信仰を広める為にチラシをまいた?
島二郎を忘却から脱却させてくれる存在を探してチラシをまいていたのかも
この考えはこじつけがすぎる
実際セイレーン達をしまから追い出して島二郎の存在を島民に広める役割はちいかわ達にしかになえなかった
神の権能をいかんなく発揮する為の勇者達がちいかわ達
神は権能を発揮したくても、苦難の前に膝を降りかけているようなものがいなくては示しようがない
困っているものを助けて初めて神の凄さが解る
セイレーン達が水中に没したちいかわ達を温めて介抱していた様子から
ヒトハフタバが事故に遭った時点でセイレーンに責を問うたなら助けてくれたのではないかという考察は的外れではない
しかしヒトハもフタバも波にのまれて浜に打ち上げられていたので……
しかしそこからフタバは、ヒトハが洞窟で人魚を誘き出し撲殺し煮付けにするまで命が持った
のだから
フタバの怪我が深刻な状態でセイレーンにことの次第を伝えたらやっぱり助けてくれたかも知れない……
けど
そもそも島民はセイレーンを恐れており、円滑なコミュニケーションがとれていたとは言い難く
なんかでかくてこわいので食べ物を捧げて荒魂を鎮めようとしていた
セイレーンも食べ物のお礼に作物の育成を促進させていたわけではなく
なんか味の濃い美味しいごはんを沢山食べさせてくれるからもらってるだけ
歌うのが好きだから一匹と三匹で歌っているだけ
と読み取ることはおかしくない
島民にとってセイレーンはごちそうで気を逸らせているから自分達を襲わないだけで
その歌声で作物の育成が促進されるのは取引の成果ではなく単なる気まぐれと受け取っていたなら
恐れていた化物に仲間の命を奪われた、手っ取り早く人魚の肉に手を出す、の理論はそんなにおかしくないかも知れない
恐れていたにしてはセイレーン達の側に近づきすぎ、というのは沢山言われている意見であり
人魚の肉を食べたら永遠の命を得られるということに対して積極的な興味を持っていたので
ヒトハフタバもセイレーンをコミュニケーション可能な対象とは最初から見ていなかったのかも
というか味の濃い食べ物で手懐けたと舐めていたのかも
怠慢だったのかも
違い過ぎる生命体に対してコミュニケーションを充分にとる努力をせず
違い過ぎる生命体として畏れることも怠った
対話が出来ないとみなすなら近づかないことを徹底すべきだったし
近付くなら対話をするべきだった
味の濃い食べ物を喜んで食べだした段階でもっとコミュニケーションをとって取引をしなくちゃいけなかったんだろうなあ
でもセイレーンは島民たちはいっしょくたに犯人の仲間として食べているけれど観光客は無関係だと判断しているので大分話が分かるんだよな
いや尻を確認して何もなければ解放してやれではあるんだけど
でもそれは「島民の中に犯人がいる、島民たちは仲間なので、罪のない者が身代わりに罰を受ける状況になれば犯人が出頭するだろう」という考えからの行動と思われる
それはセイレーンが身内をどう考えるかの現れでもあると思う
いや食べちゃってるので交渉する気はないんだけど
本当に寛大で取引をする気があるなら「こいつの命がおしければ全員尻を見せろ」をすればよかったので
セイレーンには島民全員同罪で仲間の人魚を食べられた報復をする意味が強い行動だったんだろう
さて
島二郎がどういう来歴なのかは解らないが
どこかへ行っていた鳥が島民の苦難に気付いてこれは島二郎の威光を広める機会と思ったのかセイレーン討伐に動き出す
セイレーン達を追い出せればいいので
島民にとって神として畏れられているその席を空けてもらえばいい
ちいかわ達がしたことはセイレーンの討伐でもこらしめることでもなく
セイレーンに誰が真にセイレーン達が罰するべき相手なのかを日の元に晒すことだった
鳥も島二郎もセイレーンを罰する気はなく
ヒトハフタバを救う気もない
荒魂を怒らせてしまった代償は払われなければならない
島二郎は信仰する信徒がいようがいまいがずっとそこに存在し続け時に助けてもくれる自然神
よく神は信仰されないと消えてしまうというが
島二郎の存在は「神とは人がいなくなったくらいでいなくなるようなかそけき存在ではない」ということをわたしは強く感じた
ちいかわが見つけなくても島二郎はあそこにいたし
島民が誰もこなくても島二郎は店をやっていたし
流行ってなくても島二郎は買いをとっては貝汁を作りカレーを仕込み
セイレーン達が何かしていても干渉することはなく
しかしちいかわが困っていると助けてくれるし
怒れるセイレーンを押しとどめ島民を守ろうともしてくれる
悠久の古から果てなき未来まで永遠にそこにありつづける、まるで自然の営みそのもの、それが島二郎なのだ
怖くて恐ろしい神ではなく、ずっと隣にいてくれて、いなくならない
そういう存在の頼もしさを描いた映画である
そう
ちいかわのサビは島二郎なのである
本当にヒトハフタバの事故は
ヒトハの「オーイ」がもっとでっけえ声だったらセイレーンが気付いて衝突をさけられたかも知れないし
ヒトハフタバがセイレーン達から離れたら事故は起きなかっただろうし
かと言って他の島民が同じような事故に巻き込まれないとは限らない
隣にいるだけであっけなく命が奪われ、そして命を奪う関係性
ヒトハはフタバをセイレーンに奪われたのだから
セイレーンから人魚を奪ってやるとヒトハが考えても仕方ないんだよな
やはり暴力!
暴力こそが全てを解決する!
解決されてない
セイレーンと人魚なので
人魚は人魚だとして
セイレーンは鳥だった頃のセイレーンなのかな
でも下半身人魚だし
お顔は犬張り子だし
まじで神話や
PR